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『ゆうじょこう』村田喜代子 [本]

村田喜代子さんの『ゆうじょこう』(新潮文庫)を読んだ。

明治36年、硫黄島の貧しい漁師の娘・イチが、
父親に売られて十五で熊本の大遊郭にやって来るところから物語が始まる。

過酷な運命の中、懸命に生きる少女たちの姿を描く村田喜代子さんの筆は、
けっしてじめじめとはしていないことが救いである。

随所に挟まれる、イチが女紅場(遊女たちの学校)で書くお国なまりの日記が
彼女の感性と聡明さと健気さを現し、
イチはもとより、読者の心の拠り所ともなる。

男のための社会。
遊女は借金の形に差し出され、
男を喜ばすための技能をたたき込まれる。
それはまだいいほうの楼閣で、
等級の低い貧しい見世では、ただ男たちの欲望のままのおもちゃになり
心身をボロボロにすり減らし、運の悪い者は命を落とす。

福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず」と言った人物として
一万円札にも肖像が刷られているが
じつはとんでもない差別主義者だったことを知った。
諭吉が人間として見ていたのは、身分ある家の婦女子のみで、
いかに書を読み博学多才であっても、気品が高くなければ淑女ではない、と。

〈例えば芸妓などと言う賤しき女輩が衣裳を着飾り、酔客の座辺に狎れて歌舞周旋する其の中に、漫語放言、憚る所なきは、(中略)之を目して座中の淫婦と言わざるを得ず〉

〈芸妓の事は固より人外として姑く之を擱き〉

のっけから遊女を「賤しい女輩」と断定し
人間ではないと言い放っているのである。


誰も自ら好きこのんで遊女になった者はいない。


福沢諭吉は、このころ起きてきたストライキを咎め
「国の力をつけるためには、智慧なき貧しい者の言い分をいちいち聞いているわけにはいかぬ」とも言ったらしい。
この構図は、まさに現在進行形ではないか!と背筋が凍る。
今の私達の社会は、明らかに時代を逆行している。

「けれど大きなものばかりを大事と見るのは、国にとっても人にとっても、危ういことではありませんか」と、女紅場の教師である鐵子さんは憤る。
私には一万円札が、忌々しいものに見えてくる。


明治5年には「娼妓解放令」なるものができたが、
横浜にやって来たペルーに娼妓の奴隷売買だと咎められて、
かたちだけの通達をだして取り繕っただけの、実態の無いものだった。
同じ月に「牛馬切りほどき令」と呼ばれる通達がでる。
〈娼妓芸妓は人身の権利を失ふ者にて、牛馬に異ならず。人より牛馬に物の返弁を求むるの理なし。故に従来同上の娼妓芸妓へ借す所の金銀並に売掛滞納金等は、一切債るべかざる事〉

つまりは遊女は牛や馬と同じと言っているのだ。

精神科医・斉藤環さんの「関係する女 所有する男 (講談社現代新書)」という本に
男は妻子を、自分が柵の中で飼っている牛だと思っているのだ、と書いてあったのを思い出す。

女は、牛ではない。
現代では、どんな女性も人間として扱われている?
そうだろうか?
まだまだ、社会は男のものだ、と思う。

折しも、救世軍や婦人団体の運動もあって、娼妓の自由廃業の道が開かれつつあった。
明治37年の暮れ、楼閣の花魁をはじめとするイチたち35人は、
待遇の改善をせまりストライキを起こした末に、ついに見世を抜け出すことに成功する。

イチの故郷の海では
大きな海亀は神様だった。
イチはその夜、その神様とともに裸になって泳ぐ夢を見る。
遊女から、人間の女に生まれ変わったのである。


ゆうじょこう (新潮文庫)


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保阪庸夫さん [思うこと]

保阪嘉内の次男・庸夫さんが7月5日の夕方、
天国へと旅立たれました。

甲府の手紙展と渡辺えりさんの講演があるということで
私は、7月9日・10日の二日間、山梨に行く予定を立てていたところでもあり
庸夫さんのお見舞いにも行けるつもりだったので
お知らせをもらったとき、まさかと愕然としてしまいました。

8日の告別式とその後の偲ぶ会に参加させて頂きましたが
庸夫さんのお人柄が偲ばれる温かなものでした。
親族はもちろん、賢治やアザリア関係の方々が
心から庸夫さんの逝去を悼んでおられました。
聞くと、前日7日のお通夜の夜には
七夕には珍しく空が晴れ、
ベガ・アルタイル・デネブの夏の大三角形が輝いていたとか。
庸夫さんはその中を銀河鉄道に乗って行ったのでしょうか。


庸夫さんに初めてお会いしたのはたしか2008年。
何の実績も肩書きもない、ただのいち賢治&嘉内ファンだった私を、
ほんとうに温かく迎えてくださった。
奇しくも賢治の命日の9月21日。

一見厳しそうでも、ほんとうはその懐は海のように深く広く、優しく、ユーモアにあふれた方でした。
そして、どんなひとにも分け隔てなく接する方でした。

韮崎駅から電車に乗って帰る私を、アザリア記念会の皆さんと一緒にわざわざ来て送ってくださって、握手をして頂いた手の優しさと温かさの感触が、今も忘れられません。
電車が来て乗り込むまで、高架下の広場からホームに向かって手を振ってくださったお姿が忘れられません。

短い時間の中でも、ひととして、もっとも大切なものを教わったような気がします。
もっともっと、いろんなお話を聴きたかった。

賢治研究の世界に、庸夫さんが遺したものの大きさは
おそらく時間が経つほどに理解され、認められるものだと思います。

庸夫さんは私にとって、嘉内、賢治と同じくらい大きな方でした。

今ごろは父・嘉内や大好きな賢治と会って
積もる話をしておられるのではないかと思います。

私もまたいつかは向こうの世界へと行く。
それまでの間、
少しでも庸夫さんの遺志を受け継ぎたいと思うし、
自分自身の一日一日を大切に生きることが、
何よりよろこんで頂けることかもしれないとも思う。

「庸夫先生、あちらでまたお会いできる日を
楽しみにしています!」

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昨年の碑前祭での庸夫さん





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特設展「宮沢 賢治 保阪嘉内への手紙」山梨県立文学館 [催し物]

山梨県立文学館にて
賢治から嘉内への手紙が再び展示されます。

73通全ての手紙が初めて公開されてから、もう9年も経つんですね。
あの時の感動は、今も忘れられません。

関連イベントも要チェック

7月10日(日)には渡辺えりさんの講演もあります。
私も参加予定。

詳しくは文学館のHPを見てね。



特設展 『宮沢 賢治 保阪嘉内への手紙』 

2016年7月9日(土)~8月28日(日)

賢治自筆の手紙73通を公開  

詩、童話に独自の世界を切り開いた宮沢賢治。

山梨県出身の親友・保阪嘉内に宛てた73通の手紙から、二人の生涯と友情をたどります。


【会場】山梨県立文学館 展示室C

【会期】2016年7月9日(土)-8月28日(日)

【休館日】7月11日(月)、25日(月)、8月1日(月)、22日(月)

【時間】9:00-17:00(入室は16:30まで)


◆渡辺えり講演会「宮沢賢治と保阪嘉内」 要申込 
 
講師 / 渡辺えり(劇作家・演出家・女優)、 日時 / 7月10日(日)午後1:30~

会場 / 講堂、 定員 / 500名



山梨県立文学館のページはこちら→

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『荒地の恋』 [本]

ねじめ正一さんの小説『荒地の恋』を読み終えた。

事実をもと書かれたとはいえ、やはり小説、まるごと事実ではないと思うが、実在の詩人たちの人間模様を赤裸々に描いている。詩人たちのことを殆ど知らない私でも、一気に読んでしまうけれん味があった。

主人公は田村隆一、鮎川信夫らと『荒地』を創刊した北村太郎である。
正直、私は序盤の部分、親友・田村隆一の妻・明子と恋に落ち、家族を捨てるところは読んでいてとても辛く、この本を手に取ってしまったことを後悔もした。
身勝手なことをして、妻の心もプライドも踏みにじる。あげくに取り乱し執着するほうが悪者のような描き方。男の目線で書かれた部分に、強い憤りを覚えること数回。
何の落ち度もない妻を、地獄に突き落として許されるわけがない、と。
私のこの反応は、今の自分自身の精神状態も大いに関係はしているのだと自覚はするのであるが。
それでも。
明子が田村のもとに戻ったり、それでも「家族」のような気持ちで気にかけ面倒を見たり見られたり。
それに加えて若い恋人・阿子との愛欲。
後半は半ば呆れて、なぜかしら平常心で読み進む。
様々な人生模様。
親友たちの相次ぐ死、
友が死ぬまで隠し通したもの。
そして、余命3年の宣言を受け、死んでいく北村。

最後の最後で、なぜか私の個人的な深い悩みをあっけなくはじけ飛ばしたのは、
北村太郎の葬儀に現れた阿子に、彼の双子の弟が言った言葉と、
そして、彼女が隠していた「秘密」だった。

妻・治子はどう生きたのだろう。
でも、人生は一度きりなのだ。
結局は「やったもん勝ち」なんじゃないか。
惚れた晴れたで、修羅場をくぐってでも、やりたいことをやってしまった方が幸せ?
どうしようもない心の衝動を、押さえつけて犠牲になって、被害者意識で生きるよりもずっと幸せ?

なんだか悩んで恨んで殻に閉じこもって、うじうじしてきた一年余りが急に馬鹿らしくなってしまった。
(念のため言っておくけど、決して、自暴自棄になったり、好き勝手にして人を傷つけてもよいということではない。)
生きるって、こういうことなのかもしれない。
嫌な目に遭わされてもいいじゃないか。
ひとに迷惑をかけても仕方ないじゃないか。
裡に燃えるものを失って、亡霊のようになってしまっては、自分が一番ソンじゃないか。
幸せってなんだろう。
いいことも悪いことも、いっぱい抱えて、
最後に、ああ楽しかった、そう思って死んでいければ
それがいちばん幸せなのかもしれない。
そんなことを、最後のページを閉じるときに思った。

日曜日の午後、ひとりで買い物のついでに入ったカフェで読了したのだが、
外に出てみると、嵐のあとの青空に、雲が流れている。
そして風はもう、春の匂いがした。

私も、そろそろ冬眠から目覚めよう。



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宮澤賢治の「悲嘆の仕事(グリーフワーク)」 第7回イーハトーブ・プロジェクトin京都より [催し物]

書こう書こうと思いつつ、
日々の雑用や仕事、年末の準備などに追われて、
早くももう一ヶ月経ってしまいました。
年を越してしまわないうちに、とPCのキーをたたいています。

11月29日(日)、「第7回イーハトーブプロジェクトin京都」に行ってきました。
今回は「宮澤賢治の「悲嘆の仕事(グリーフワーク)」。
京都府庁旧本館正庁の趣のある建物の中で、
竹崎利信さんのかたりと浜垣誠司さんの解説によって
妹トシを喪った賢治の心の軌跡をたどるというものでした。

死ぬことの向こう側まで一緒についていってやりたいという思いと覚悟。
トシ臨終の深い悲しみと傷。
亡き者への執着と探求。
その苦しみと心の葛藤を経て
賢治が愛する妹の死を受け入れ乗り越えてゆく様を追体験する企画は
賢治の生涯のなかでもおそらく最も重要な部分のひとつを知るものだったのではないでしょうか。

個人的なことですが、私は、約一年前から大きな悩みをかかえていて、
その葛藤と苦しみからか、
大好きなはずのこともいっこうに手が着かず、
何をしていてもどこか心ここにあらずの状態。
日々を普通にこなすことがやっとという有様でした。
いっときは気を持ち直してはいたものの
冬という季節は人の心を冬眠のように籠もらせてしまうものなのでしょうか、
また最近は何もする気になれないようになってしまっています。
こんなことではイカンと思いつつも・・・。

そんなこともあって、私は心身ともに疲れているのだろうと自覚したのは
通常なら頭も心も覚醒したまま聴いたはずの賢治の作品を
なんだかぼんやり聴いてしまっていたからでした。

竹崎さんの美しい「かたり」。
それは表面をなぞるのはなく、対象を自分のなかに取り込んで同化し
そしてはき出されるもの。
お声はまるで理想の賢治のようであり、
異空の彼方からやってくるような不思議な響きを持っています。

その心地よい、深い響きに包まれて
いつしか私は、身心に染みついた賢治のことばを
夢うつつのように聴いていました。

薄暗い古く美しい建物の中は
そこだけがぽっかり銀河のなかを旅していた、
そんな気がするのは私だけでしょうか。

はっと我に返ったのは、ジョバンニがあの真っ暗な石炭袋を見つけたあたりでした。
そして、突然、消えてしまったカムパネルラ。

賢治の哀しみ、語り手の哀しみ、私の哀しみ・・・
そして誰かの哀しみ。

結局、ひとはたったひとりで、
哀しみを抱かえながら透明な軌道を進んでいくしかないのでしょう。

それでも、あの空間で響きあった哀しみからは
きっと美しいもの、そして今日を生きる力が生まれてきた気がします。

公演のあとの余韻は長く、いろいろ思いを巡らせて
ふと気付いたこと。

「銀河鉄道の夜」という物語。
・・・カムパネルラを追ってジョバンニは鉄道に乗った。
死にゆくカムパネルラ。
ひとりで逝かせるのは可愛そうだから
ジョバンニが銀河の向こうまでついて行ってやった。・・・
ずっと私はそう思っていたのですが
じつはそうではないのだという考えが浮かびました。

カムパネルラを喪って、辛く哀しいのはジョバンニのほう。
カムパネルラにとって死はちっとも怖くない。なぜなら“お母さん”のところに行くのだから。
カムパネルラがどこへ行ったかわからず、孤独で不安で寂しいのはジョバンニ。
だからカムパネルラは、ジョバンニの意識に入り込んで、「一緒についてきてやった」のではないか・・・?

《僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんたうのさいはいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一諸に進んで行かう。」「あゝきっと行くよ。あゝ、あすこの野原はなんてきれいだらう。みんな集ってるねえ。あすこがほんたうの天上なんだ。あっあすこにゐるのぼくのお母さんだよ。」カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。》

「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない」・・・
そうジョバンニがそう思えるようになるまで、
カムパネルラはジョバンニの側についていたのです。
しかもみんなのほんとうの幸いを探しにいくことを
ジョバンニがほんとうに決心するまで。

「ほんたうの天上へさへ行ける切符だ。天上どこぢゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈」
ジョバンニは生きる限り、
どこまででも行ける切符をその手に持っているのだということを自覚させ、
たとえ自分がいなくても、暗闇のなかでも突き進んで行く勇気と力を与えてから
カムパネルラは消えたのです。

「ついて行ってやった」と「ついて来てもらった」は全く違う。
逆を考えてみたとき、
ジョバンニが銀河鉄道に乗った理由がはっきりとわかるような気がします。

賢治を残して行ってしまった人々・・・
子供の頃から、賢治は何人もの大切なひとを失っています。

なかでも最愛の、不憫な妹トシを失った賢治が
死後も彼女の存在を感じることによってその喪失感と哀しみから立ち直っていく姿は
ジョバンニに寄り添うカムパネルラと、立ち直っていくジョバンニの姿と重なって見えます。

さらに、ジョバンニに寄り添うのは、カムパネルラだけではなく
一緒に汽車に乗り込んで関わったすべての人たちです。

ジョバンニはひとりぼっちで生きて行かなくてはならない、
けれども、決してひとりぼっちではない。
だって、すべてのひとがジョバンニを支えているのだから!

はたして賢治はそう描きたかったのか、どうか。
けれども、もう、私にはそのような物語にしか読めなくなってしまいました。

「銀河鉄道の夜」という物語は、まさに「グリーフワーク」そのものの
物語ではないかと思います。

トシについていってやりたいと願った賢治は
じつはトシに寄り添われて生きていったのだと思います。

私もまた、今、たくさんのひとに支えられて
生きていられることに感謝しています。


浜垣誠司さんブログ「第7回イーハトーブ・プロジェクトin京都・終了」→こちら
竹崎利信さんブログ「悲嘆の旅の彼方に―おしまいは『銀河鉄道の夜』」→こちら  

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第8回『保阪嘉内 宮澤賢治 花園農村の碑 碑前祭』 [催し物]

今年も行って参りました、碑前祭。
もう一週間経ってしまったんですね~。
当日17日は心配されたお天気も、雲は多かったものの大丈夫でした。
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山猫博士の向山事務局長と清水会長

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碑文朗読は韮崎さざなみの会の金亮子さん

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韮崎市民合唱団とふぉーくしんがーず(さぶちゃん&じゅんちゃん)
による「勿忘草の歌」「帰去来」「アザリア」など

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みんなで乗り込む銀河鉄道

第2部の記念講演、その前に
2014年9月の埼玉県小鹿野町での「宮澤賢治・保阪嘉内 友情の歌碑祭」の模様をDVD上映。
お祖父さんの嘉内さんもびっくり、美佳さんの素晴らしい口上に大感動!

澤口たまみさんの講演、
「宮澤賢治 愛のうたーシグナレスとの恋、嘉内へのあこがれ」は
一般の人にも、コアな嘉内・賢治ファンにも興味深く聴き応えあるものでした。
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私としましては
著作やブログなどからうかがい知る、そのしなやかで繊細な感性と科学者としての確かな目に
憧れと尊敬の思いを抱いてきた澤口さんと
やっとお会いできるたことのよろこびはたいへん大きく
また、その気さくで楽しいお人柄にふれることができ
さらにさらにファンになってしまったのでした。
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澤口さんと保阪庸夫さん、とってもいいお顔のおふたり

碑前祭のあとは銀河展望公園で美しい夜景と月、中央線の列車が行くをみる。
そして姉妹亭にて恒例の歓迎会兼打ち上げ
いつも美味しい料理
今回は飲み過ぎないようにちょっぴり自粛(?)

次の日18日は嘉内の誕生日
素晴らしい秋晴れピーカンのお天気!
この日は朝から澤口さん、加倉井さんとともに
新村さんご夫妻(さぶちゃん&みかちゃん)と蟹沢さんに嘉内ゆかりの地めぐりに案内していただいて
お墓参りや當麻戸神社へ。
嘉内の生家からほぼまっすぐ、の境内は空気の澄んだ韮崎のなかでも
さらに清らかな気がして魂が洗われるよう。
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途中で一服したのは韮崎文化ホール前にできた増田珈琲。
富士山ブレンドはとっても美味しい珈琲でした。
今はこのブログを書きながらお土産にいただいた穂坂ブレンドを飲んでいます。
近くだったら通っちゃうよ~♪
増田珈琲FB

途中からはアザリア記念会事務局にて事務局長向山三樹さんも合流し、
じつに貴重な資料を見せていただいたりで
素晴らしい時間を過ごすことができました。

午後1時過ぎのあずさで八王子まではおふたりとご一緒、
三島に出て大岡信ことば館で開催の「ますむらひろし展」を観て帰宅。
充実の旅でした。

お世話になった韮崎のみなさん、
そして澤口さん、加倉井さん、ほんとうにありがとうございました。


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嘉内の生家に植えられていたカリンかマルメロか?(右側の樹)
きっと嘉内が植えたに違いない!と澤口さん、みんなで感動。

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嘉内がよく座っていたという縁側で記念撮影

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韮崎駅前の市民交流センターニコリにある「ふるさと偉人館」

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じつに貴重な資料たち・・・

詳細は加倉井さんの「緑いろの通信」に詳しいので
ご参考に→10月号はこちら




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「花園農村の碑 碑前祭 2015」のお知らせ [催し物]

待ち遠しいと思いつつ、気づけばもう来月に迫ってきました。
今年もやります、碑前祭!

記念講演の講師盛岡在住のエッセイスト・絵本作家 澤口たまみさん。
岩手大学出身で賢治の嘉内、アザリアの仲間たちの後輩です。
昆虫や小さな生き物への眼差しがとても優しく
生きとし生けるものへの慈愛あふれる素敵な女性。
いつかお会いしたいと密かに、でも強く思っていた方なので
とってもうれしいです。

前回の展示会紹介記事にも書きましたが
著書『宮澤賢治 愛のうた』は
秘められた賢治の恋に光をあて
賢治作品の謎をとく鍵とする画期的な論考。
ほかにもすばらしいエッセイや絵本をたくさん出されています。

みなさまお気軽に遊びに来てくださいね!


花園農村の碑 碑前祭
2015年10月17日(土) 入場無料
◆碑前祭
時間:午後1時30分~
場所:東京エレクトロン韮崎文化ホール前庭
『花園農村の碑』前
韮崎市藤井町坂井205  TEL:0551-20-1155
碑文朗読  ゆかりの方からのあいさつ
保阪嘉内の歌曲「藤井青年団歌」「勿忘草の歌」他
(韮崎市民合唱団)

◆記念講演
時間:午後2時10分~ 場所:東京エレクトロン韮崎文化ホール会議室         
講師 澤口たまみさん
(エッセイスト・絵本作家)
演題 宮澤賢治 愛のうた
~シグナレスとの恋、嘉内への憧れ~


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宮澤賢治 愛のうた (もりおか文庫)

宮澤賢治 愛のうた (もりおか文庫)




★澤口たまみさんのブログ「たまむし日記」→こちら





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「私が友 保阪嘉内 ―宮澤賢治全書簡」と「賢治・愛のうた展」 [催し物]

告知が遅くなりましたが
もう始まっています!!

盛岡岩手県立美術館
『特別展示「私が友 保阪嘉内 ―宮澤賢治全書簡」』 が開催中。

宮澤賢治の心友・保阪嘉内への手紙72通が、初めて岩手に里帰りしました。
盛岡は賢治やアザリアの友が青春時代を過ごした街。
大量の手紙の展示はたいへん貴重なことであり、
しかも里帰りとなると、今後はいつ?
ふたたびあるかどうかも難しいのでは。
嘉内のスケッチも展示されます。
6月28日まで。


さらに盛岡では「もりおか啄木・賢治青春館」にて
澤口たまみさんによる『賢治・愛のうた展』 も開催中。

賢治の秘められた恋に焦点ををあて
作品中にたくみに隠された恋人の存在を浮かび上がらせます。
こちらも6月28日まで。

みなさまどうぞ盛岡に足をお運びください!
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口語詩 マイ リトル ブラザー ジローズ ジョン [保阪嘉内]

10月の「碑前祭」で金田賢一さんが朗読してくださった作品、
保阪嘉内の口語詩『マイ リトル ブラザー ジローズ ジョン』。

ずいぶん前に、アザリア記念会の向山三樹事務局長より送って頂いていたのに
掲載が遅くなってしまいました。
まことにすみません~。

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口語詩
マイ リトル ブラザー ジローズ ジョン  1915年8月2日

解説
この詩は1915年(大正4年)8月2日の作 嘉内は 甲府中学を卒業し家業を手伝いながら受験浪人中 19歳
当時は妹4人 千代17歳 こと14歳 きのえ11歳 八重7歳 弟 次郎3歳 がいた。文中のジローの名前は弟からとった。
『カチューシャの唄』(カチューシャのうた)は、1914年(大正3年)に発表された日本の歌謡曲、ならびに同楽曲を題材にした同年製作・公開の日本の短篇映画である。
楽曲の作詞は島村抱月と相馬御風、作曲は中山晋平。劇団芸術座の第3回目の公演であるトルストイ原作『復活』の劇中歌として、主演女優の松井須磨子などが歌唱した。翌年の1915年(大正4年)には『復活唱歌』の題名で、松井の歌唱によるレコードが発売された。歌詞の「カチューシャかわいや わかれのつらさ」は爆発的な流行語となった。

口語詩
マイ リトル ブラザー ジローズ ジョン


              嘉内作 2575.8,2(注 西暦1915年8月2日)

私がお友達のとこから
帰ってきた 夕方だっけ
JOHNよ、お前が居たのは
私の三番目の妹が
「兄さん こりゃ車屋の 勝ちゃんからもらったので 小さい男の犬だ」
と言って お前を見せたっけ
私の三番目の妹が 「兄さん こりゃ車屋の 勝ちゃんからもらったので」
と言って おまえに見せたっけ

私が帰ったときに 二番目の妹は ジョンよお前に名前がなかったから
ポチと名前を名づけたと云った

しかしジョンよ わたしはポチがきらいだ
それは いやしい犬を連想するからだ

それで私は考えた お前の名前について考えた
そしてジョンよ ジョンが一番よかろうと 云うので
それからジョンとお前をよぶことにした

お前はまだもらってから 二日ばかりしかたたないのだ
それだが よく お前は大勢になついた
ジョン!!と呼べば来るように 私にも弟にも妹にも お前はよくなついた

お前は尾を棹って(ふって)飛んできた お前はえさをやればみんな食べた
お前は足や手にざれついた

お前はほんとによい犬だ 褐色の毛のふさふさした
他の犬に似ず いい犬だほんとに!

一番目の妹が お前があんまり可愛い(いとしい)から
桃色のメリンスで 首にかける 紐を縫ってやった

弟がお前に小さい鈴をやった そんでもお前は「ありがとう」とも云わないで
泥の中で遊んで 紐も鈴も真っ黒にしてしまった
しかしジョン 私は かわいいお前をおこらない
お前は私の弟と遊ぶ 弟もお前も小さいから
飯時も忘れて 弟は裸足になって お前は真っ黒くなって

弟はお前の尾をひいたり 毛をひっぱったり つるしあげたり 口づけしたりする
お前はその時 弟のする通りに ざれついて遊ぶ
それでわたしの掃いた庭が 弟とお前の足跡で一杯になる
しかし私は弟をもお前をも 少しもおこらない どっちも可愛いから

それで私はお前を マイ ブラザーズ ジョンと云っているのさ
まったくお前は マイブラザー ジローズ ジョンだもの
それで家中だれも誰も みんなお前を可愛がっているのだ

今日私がお墓の草を取って帰ってくると
えーお墓というのは私たちのご先祖が住んでいる所なのだ
ジョンよお前も 父さん母さんそしてご先祖に 立派につかえにゃならんのだよジョンよ

そのお墓から帰ってくると お前はいつもの様に 尾を棹って(ふって)
私にざれついたっけね
私はお前が可愛いから 両手で抱き上げたっけねお前を
お前も喜んだね  その時には

しかし私はお前が知っているとおり臆病だからね
お前の毛が濡れているので びっくらして両手を つと(急にの意)離したらね
小さいお前だもの 私の手から台所に落ちて  さぞ痛かったんだろうねお前は
お前は仰向に倒れて苦しそうにしていたね
私は決して悪い気で お前を落としたんじゃないから お前も私をお許しだろうね

お前は五分も黙って 仰向いていたね
私は死んだんじゃないかと 実際悲しかったよ
その後お前は私の顔を二度にらんで(堪忍しておくれよジョン)
お前の家になっている凾(はこ)のある 裏の土蔵の方へ 
四つの足みんなで とても苦しそうに歩いて 這入って行ったね
私はお前が死んだんじゃないかと 実際悲しかったよ 
お前は暗いとこへ つとめて這入りたがるから
実際私は悲しかったよ
お前が死んだんぢゃないかと

死ぐ(死ぬの方言)時に其のしゃれこうべのありかを人に見せないと云うのは
お前の社会のMOTTOR(モットー)だそうだね
私はお前が暗い方へ行くから MOTTORを考え出して 非常に悲しんだよ
お前が死ぐ(死ぬ)んじゃないかと
お前もその時は苦しんだろう 私もその時は苦しんだ みんな私のあやまりから
しかし私は神に祈ったよ
お前は知るまいがね あのロシヤの近頃の 大きな文豪でね
ロシヤの文豪と云えば多いがね
クウプリンもアンドレエフも
チェホフもダッタ(ドフト)エフスキーも みんなえらいがもっとえらい
レオ(レフ) トルストイと云う人のねResurection(復活)と云う小説のね
女のヒロインのね カチュウシャと云うのね
其の人のことを日本の人が作った歌の詞のようにね
私は神にお前が死なないように願ったよ

私のお願いを神様もあわれと思いなさったんだろう
お前は又 鈴をふって 其の音の後から続いて かわいく歩いているからね
もう大丈夫 お前はもう大丈夫
今に私がね いい歌を教えてあげるから
道を行く人に聞いた つまらない歌を歌うでないよ

其のカチュウシャの歌と云うのはね
聞きたいならば歌おうね
さあ、これは一番だよ
「カチュウシャ可愛いや 別れのつらさ
 せめて泡雪とけぬ間に 神に願いをかけましょうか」
                        
 畢(おわる)

 翻刻 アザリア記念会 向山三樹

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シンポジウムと『天使猫』Ⅱ [催し物]

もう一週間以上経ってしまいましたが、
前回の続きです。

先に観た知人・友人の評判もよく、
楽しみにしていた渡辺えりさんの『天使猫』


暗い舞台に波の音から始まる…。
一匹の猫が捜しているのは、どこかに埋まっているはずの妻の遺体。
最初の場面から、これはたいへんなものを見に来てしまったと思いました。

ストーリーなどあってない、
現実と幻想が入り交じり、
時空を行き来し、賢治の生涯と作品たちが交錯する、そして清六の生涯も重なる、
なにこれ、どここれ、誰がだれ、・・・あなたはだれ、わたしはだれ。
賢治は誰を捜しているの。
清六は誰を捜しているの。
・・・私はいったい誰を捜しているの・・・?

明るい賢治はそこにはいない、
苦悩する賢治、東北の暗い空の下、二つの三陸地震と津波に夾まれた生涯。
失踪した岩手山は、俺は何にもできなかったと言って泣く。
泣いていたのは賢治?いや、私?
津波にさらわれてしまったのはあなた。あなたはわたし。
津波にさらわれてしまったひとをいつまでも探すのはあなた。あなたはわたし。
いつまでも探すひとに心痛めるのはあなた、あなたはわたし

賢治のきれぎれのことばが舞い、突き刺さってくる。
賢治の血を吐くような苦しみが迫ってくる。


面白かった、とはとても言えない演劇。
私がもらったのは、えりさんの重い重い、想い。

忘れるなよ、東北を忘れるなよ、と
天使猫がささやく。

ホモイが受け取るのを拒んだ赤い玉、
しまいには賢治が受け取ったのね、と思ったのは間違い、
帰路についた時、私の中にしっかりとそれがあることに気付いて愕然とする。



波の音が今も聞こえる。
それは私の中で次第に大きくなっていく。
賢治が歩いた透明な軌道を目で追いながら
私はわたしの中の赤い玉のあるあたりを、そっと撫でてみる。

忘れない、忘れないよ、と。 

偶然にも昨日、フェイスブックに流れてきた動画
押し寄せる波、瓦礫の山、屋根の上のバス、
泥に半分埋まった遺体、シートの端から覗く細い指、動かぬ幼子の足。


天使猫。
期待するとかしないとか、面白いかそうでないかなんていうものを
遥かに超えてしまう、お芝居でした。
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