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カムパネルラとは誰か [童話]

『銀河鉄道の夜』に登場するカムパネルラのモデルは誰か、というのは
亡くなった最愛の妹トシという説と、
親友であった保阪嘉内という説の大きく二つに分かれるでしょうか。

このところ、『銀河鉄道の夜』を中心に
賢治のことをあれこれ考えているのですが
そこで感じたことがありました。

この原稿は未完成で、手入れによる変化は第4次稿まで分けられており
(第1次稿~第2次稿の殆どは現存せず)
なかでも第3次稿と第4次稿には大きく変化があります。
そのもっとも大きな違いは
冒頭の部分が加えられ
最後の部分が差し替えられたことです。

ジョバンニを導く「ブルカニロ博士の声」が削除され
夢から覚めたジョバンニをまっていたのはカムパネルラの水死。

賢治がこの物語を書き始めたのは1924(大正13)年頃といわれます。
詩『薤露青』が書かれたのもこの頃です。

結論から言うと、トシと嘉内、私はどちらもカムパネルラのモデルであると思います。

死んだトシの行方をどうしても追わずにはいられない自分自身に、
言い聞かせるため、きっぱりとたったひとりの為でなくみんなの幸せを願う方向へいくために書かれたのがこの物語だったかもしれません。
それらの葛藤の化身がブルカニロ博士の声。

ところが、賢治はなぜ、後になってこれらを削ってしまったのか。

この大きな書き換えは、昭和6年ごろからということです。
つまり、出張先の東京で病臥し、自身の死を覚悟した後…。

夢から覚めたジョバンニはカムパネルラが川に落ちたことを知ります。
川はばいっぱい銀河が映り、まるで水のないそのままの空のような水面を見ながら
ジョバンニはカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないようなきがしてしかたがないのです。

河本義行が海で亡くなったことを賢治は知らなかったはずですが
これもじつに不思議な一致です。

賢治が自分の死を覚悟した時、
突然消えてしまうのは
自分の方だという思いはなかったでしょうか。

この頃はすでにトシの死を乗り越え
行方を追うことから離脱していたのではないか。
それゆえ、ブルカニロ博士との会話はもはや
賢治にとって不要となった。

その代わりに「カムパネルラの死」という現実を浮き立たせた。

ブルカニロ博士による説教めいた説明をはぶき、代わりに
「ぼくはカムパネルラの行った方をしっていますぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのです」
という言葉は深い意味を持ってくる。

「いっしょに歩いていた。」
「行方を知っている。」
その後に続く言葉があるとしたらそれは
「そしてこれからもいっしょに歩いていくのです。」
ではなかったか。

つまりは、愛するものの死に接し、これからの自分はどうしたらいいのか、
という問にもとづいて書かれたのが第3次稿までとすれば
みんなの幸せを求めることが一緒に行くことだというのが確信に代わり、
友に思いを託したのが第4次稿だったのではないか、
という思いがわいてきたのです。

冒頭の部分や東京での仕事と重なる部分が加えられたのは
カムパネルラに親友・嘉内を重ねようとしたためで、
最初はトシとの別れをもとに描かれた物語が
自身の死を意識してから、嘉内との関係に発展したのでは…
とうのが今の考えです。

振り返れば、自分は嘉内や愛する者と共に歩いてきたのだ、
そしてこれからも歩いていくのだという想い。

「カムパネルラを探すことは無駄だ」から
「カムパネルラの行方をしっている」という変化は大きい。


ジョバンニとカムパネルラは
どちらも賢治であり嘉内である。
もちろんトシでもある。
そしてみんなの幸せを求めるひとすべてである…。


『銀河鉄道の夜』初期形と定形を読み比べながら
そんな風に感じたのでした。

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コメント 4

mishimahiroshi

げにもまことのみちは 
かがやきはげしくして 
ゆきがたきかな

(「冬のスケッチ」 より)

これは賢治生家を訪問した際、清六さんが新潮文庫の宮澤賢治詩集の裏扉に書いてくださったところです。

賢治の生涯を示唆する一節だと、今回のエントリーを拝読して思い出しました。
by mishimahiroshi (2010-12-14 07:59) 

signaless

mishimaさま、いつもありがとうございます。
賢治は短い生涯をせいいっぱい生きたのですね。
そこに寄り添っていたのは双子のような嘉内の影。嘉内の生涯にもまた賢治の影が…。やはりどちらが表裏ともいえず、お互いにかけがえのない存在だったのだと信じます。
賢治のことを知れば知るほど、嘉内の存在がくっきりと浮かび上がってくるのです。
by signaless (2010-12-14 18:12) 

寛太郎

Yahoo!で「カンパネルラ トシ 嘉内」の検索で
一番にここにたどり着きました。
当然そう言う考えが出てくると思っていたのですが、
意外にそう考える方は少ないようですね。
三次稿の終わり頃に「・・・そして、みんながカンパネルラだ。・・・」
と言うあたりが全く意味不明だったのですが、
少し理解に近づいたような気がします。
ありがとうございます。
また、賢治ファンビギナーとして、このBLOGに出会えた事にも
非常に感謝いたします。
by 寛太郎 (2011-04-10 04:29) 

signaless

貫太郎さま
コメントありがとうございます。

なんとも有難く過分なお言葉に恐縮しています。
賢治作品は深く、賢治自身も深く、求めても求めてもたどり着けない感じではありますが、そこがまた魅力的なところかもしれませんね。
その時々の自分によって、同じ作品でも全く違う面が見えたり、違うとらえ方をしたり。
様々なことを考えさせてくれて、感じさせてくれるのが賢治作品。
「正解」なんてないのだと思いますが
その時々で、こうかもしれないなぁ、ということをブログに書き綴っている次第です。
読んで下さる方の同感を頂いたり、少しでも理解の助けになれるとしたら
これほど嬉しいことはありません。
by signaless (2011-04-10 06:00) 

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