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境界線に立つもの~『物語ること、生きること』上橋菜穂子・著から思うこと [本]

たまたま立ち寄った書店で、面陳列されていた上橋菜穂子さんの『物語ること、生きること』(講談社)を手に取り、衝動買いをしました。
実は上橋さんの作品は読んだことがないのですが
以前、アニメで『獣の奏者エリン』を娘と一緒に見ていたので
その作者だということは知っていました。

予想通り、イギリスのファンタジーに深く通じている方でした。
『ゲド戦記』のル・グィン、
『グリーン・ノウの子供たち』シリーズのルーシー・M・ボストン、
『時の旅人』のアリソン・アトリー、
『第九軍団のワシ』のローズマリー・サトクリフ等々、
私の好きな作品が次々と出てきて懐かしく、そして嬉しく。

この本に「境界線の上に立つ人」という節があります。
ものごとの両側が見えるからこそ、どちらにも行けない哀しみ。
どちらか一方の側から見ただけでは、見えない景色を見ている人。
だからとても孤独だし、人から理解されないこともあり、
結論めいたことも言えず、それでもじっと考え続けている人。
上橋さんはそういう人に惹かれるし、自分もその景色を見てみたいのだと書いています。

どちらにも行けない哀しみというのは、とてもよくわかります。
両側の世界が見えていたかといえばそんなことはなかったのですが
私には、特に思春期の頃から、どこにいてもどこにも属せない感がつきまとっていました。
そしてその孤独感に寄り添ってくれたのがある時出会った宮澤賢治というひとだったのでした。
やっぱり賢治は、両側が見えてしまう人だったのではないでしょうか。

私には幸い、賢治という人がいてくれた。
でも、賢治はどうだったのか、
その孤独をどうやって癒やしたのか…
ヨタカの哀しみはどこにも属せない哀しみ。
車を運転中になんとなくそんなことを考えていたら、
涙で前方が見えなくなりそうになってあわてました。


スター・ウォーズにでてくる「フォース」にも
「ライトサイド(光明面)」と「ダークサイド(暗黒面)」があります。
世界ははっきりと2分できるほど単純ではなく、
くるくると相対的に入れ替わったり絡み合ったりしているものだろうと思います。

それらが見えたとしても自分の立ち位置で割り切ってしまえば楽かもしれないけど
それができないひとだと、さぞ生きづらいに違いない。
そして賢治はそういうひとだったのではないでしょうか。


「壁を越えてゆく力」という節の最後の部分が心に響きます。

《もしかしたら「生きる」ということ、それ自体が、フロント=最前線にたつことなのかもしれない、と思ったりします。それぞれの生い立ちや境遇や。すごくいろんなものを抱えて、私たちは、いま、出会っている。誰もが自分の命の最前線に立っているのなら、それぞれに境界線を揺らす力、境界線の向こう側に越えてゆく力を持っているのんじゃないか。
相手を否定したり、恐れたり、あるいは自分の領分を守るために境界線を強くするのではなく、境界線を越えて交わっていこうとする気持ちを持てたら、どんなにいいだろう。
私は、それを、子どものころからずっと願い続けてきたように思うのです。
そして、私の好きな物語に、もし共通点のようなものがあるとしたら、それは背景の異なる者同士がいかにして境界線を越えていくかを描いているところかもしれません。》


無意識と意識、夢と現実。
本来、すべてを含めた世界に人は生きるはずです。
ところが意識と現実だけしか見ようとしなければどんどん歪みが生じていく。
それが現代社会の姿だと思います。
「ファンタジー」は目に見えない大切なものを呼び覚まし
両者をつないでくれるものだと思います。

私にとって、どんなハウツー本や教訓本よりも
生きることを教えてくれるのがファンタジー。
じつは私が本を読み出したのは大人になってからなのです。

ルーシー・M・ボストンが『グリーン・ノウの子どもたち』で作家デビューしたのは
彼女が62歳の時。

トールキンの『ホビットの冒険』で、
めんどくさがりやで小心者のビルボが居心地のいい家をえいっと飛び出し
長い長い指輪をめぐる物語が始まったように
いくつになっても、「その一歩を踏み出す勇気を」!


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