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『修羅の誕生』宮沢賢治学会京都セミナー [催し物]

早いものでもう2週間も前になってしまいました。

4月20日(日)、京都造形芸術大学にて開催された賢治学会の京都セミナーに行ってきました。
プログラムは以下のとおり

①講演「宮沢賢治、京都に来る」浜垣誠司さん
②朗読と解説「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」牛崎敏哉さん
昼食休憩
③講演「宮沢賢治とジャータカ」君野隆久さん
④講演「宮沢賢治と修羅」中路正恒さん

講師の方々それぞれの視点、アプローチから賢治の「修羅」の誕生に迫る、
たいへん聞き応えのある講演でした。
浜垣さんは修学旅行と父子旅行の行程を詳しく解説。
牛崎さんは、素晴らしい花巻弁で詩を読んでくださり
そのBGMには「姫神」さんの音楽が。
私は、まだ「姫神せんせいしょん」というユニットだった頃から聴いていて大好きだったのです。
牛崎さんのパフォーマンスだけでも感動なのに、さらにさらに感激!
君野さんは、賢治が好きだった「ジャータカ物語」、中でも「ベッサンダラ王」の話について
賢治の深層心理に迫っていてとても興味深く参考になりました。
中路さんは詩「春と修羅」や「無声慟哭」などから、賢治と修羅、
そしてそこからあぶり出される父との関係を読み解いてくれました。

さらには、栗原敦さん、杉浦静さんからの質問・補足を通しての総括によって
今回のセミナーがぐっと引き締まったように感じました。



大正10年というのは、賢治にとって深い深い意味をもつ年。
その年4月、家出して上京中だった賢治を関西の旅に誘ったのは父・政次郎でした。
春の暴風雨の中、伊勢参りを経て京都へ。
二人で比叡山に登ります。
賢治が詠んだ

われもまた大講堂に鐘つくなりその像法の日は去りしぞと。

に象徴されるように、賢治にとって絢爛豪華な比叡山に対する印象はよくなかったようです。

賢治は、「ベッサンダラ王」に代表されるジャータカ、つまり捨て身の献身を望み、
それが正しい道だとしながら、
「アラムハラドの見た着物」のアラムハラドが思わず眼をこすってしまう
さっきまっで真っ青で光っていた空がねずみ色に変わり暗くなってしまったり、
「銀河鉄道の夜」で、しっかりやろう、僕たちどこまでも一緒に行こう、と誓った直後に
まっくらな孔があいているのを見てしまうことについて、
君野さんは
「自己犠牲は賢治の願望だったのではないか、捨て身=死の本能にちかいものをうすうす感じとっていたので最終的に疑問を持っていたのではないか。そこからどこへ進もうとしていたのか」
と仰り、
栗原さんが
「他を律する為に自分を捧げるということは一見正しいようだが実は押しつけではないか。賢治は尊い願いを持ってはいた。決して虚無には陥らなかったが、深い絶望を見ていたのではないか」
というようなことを仰っていました。

それまで信じ切っていたことが揺らぎ覆される。
何がほんとうに正しいことなのか。
迷いが、深い暗黒となって立ちふさいでいた。
賢治の修羅とは、そういうことなのかも知れない。

迫れば迫るほど、分かれば分かるほどまた新たな疑問がわき起こる、
それが賢治の「修羅」。

賢治が父と対立していたのは
決して法華経の日蓮宗対真言宗といいう構図ではなく
(だって同じ釈尊の教えなのだ!)
貧しい人も地位のない人も等しく救われるべき仏教であるはずが
裕福層を相手にした宗派・仏教会や
当時の比叡山に象徴されるらびやかな権威主義に対する反発・否定だったのではないかというのが
今の私の思い。

深い迷いの跡が作品であり
最期に父にそう語った言葉はほんとうだと思うし
また、これらはお釈迦様の尊い教えだ、と弟には語った、これもほんとうのことだろう。
迷って迷って迷って、それでも索続ける姿がほんとうは一番尊いのだと
賢治は最期に言いたかったのかもしれない。

「みんなのほんとうの幸い」を探して
僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない、と。






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