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宮澤賢治の「悲嘆の仕事(グリーフワーク)」 第7回イーハトーブ・プロジェクトin京都より [催し物]

書こう書こうと思いつつ、
日々の雑用や仕事、年末の準備などに追われて、
早くももう一ヶ月経ってしまいました。
年を越してしまわないうちに、とPCのキーをたたいています。

11月29日(日)、「第7回イーハトーブプロジェクトin京都」に行ってきました。
今回は「宮澤賢治の「悲嘆の仕事(グリーフワーク)」。
京都府庁旧本館正庁の趣のある建物の中で、
竹崎利信さんのかたりと浜垣誠司さんの解説によって
妹トシを喪った賢治の心の軌跡をたどるというものでした。

死ぬことの向こう側まで一緒についていってやりたいという思いと覚悟。
トシ臨終の深い悲しみと傷。
亡き者への執着と探求。
その苦しみと心の葛藤を経て
賢治が愛する妹の死を受け入れ乗り越えてゆく様を追体験する企画は
賢治の生涯のなかでもおそらく最も重要な部分のひとつを知るものだったのではないでしょうか。

個人的なことですが、私は、約一年前から大きな悩みをかかえていて、
その葛藤と苦しみからか、
大好きなはずのこともいっこうに手が着かず、
何をしていてもどこか心ここにあらずの状態。
日々を普通にこなすことがやっとという有様でした。
いっときは気を持ち直してはいたものの
冬という季節は人の心を冬眠のように籠もらせてしまうものなのでしょうか、
また最近は何もする気になれないようになってしまっています。
こんなことではイカンと思いつつも・・・。

そんなこともあって、私は心身ともに疲れているのだろうと自覚したのは
通常なら頭も心も覚醒したまま聴いたはずの賢治の作品を
なんだかぼんやり聴いてしまっていたからでした。

竹崎さんの美しい「かたり」。
それは表面をなぞるのはなく、対象を自分のなかに取り込んで同化し
そしてはき出されるもの。
お声はまるで理想の賢治のようであり、
異空の彼方からやってくるような不思議な響きを持っています。

その心地よい、深い響きに包まれて
いつしか私は、身心に染みついた賢治のことばを
夢うつつのように聴いていました。

薄暗い古く美しい建物の中は
そこだけがぽっかり銀河のなかを旅していた、
そんな気がするのは私だけでしょうか。

はっと我に返ったのは、ジョバンニがあの真っ暗な石炭袋を見つけたあたりでした。
そして、突然、消えてしまったカムパネルラ。

賢治の哀しみ、語り手の哀しみ、私の哀しみ・・・
そして誰かの哀しみ。

結局、ひとはたったひとりで、
哀しみを抱かえながら透明な軌道を進んでいくしかないのでしょう。

それでも、あの空間で響きあった哀しみからは
きっと美しいもの、そして今日を生きる力が生まれてきた気がします。

公演のあとの余韻は長く、いろいろ思いを巡らせて
ふと気付いたこと。

「銀河鉄道の夜」という物語。
・・・カムパネルラを追ってジョバンニは鉄道に乗った。
死にゆくカムパネルラ。
ひとりで逝かせるのは可愛そうだから
ジョバンニが銀河の向こうまでついて行ってやった。・・・
ずっと私はそう思っていたのですが
じつはそうではないのだという考えが浮かびました。

カムパネルラを喪って、辛く哀しいのはジョバンニのほう。
カムパネルラにとって死はちっとも怖くない。なぜなら“お母さん”のところに行くのだから。
カムパネルラがどこへ行ったかわからず、孤独で不安で寂しいのはジョバンニ。
だからカムパネルラは、ジョバンニの意識に入り込んで、「一緒についてきてやった」のではないか・・・?

《僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんたうのさいはいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一諸に進んで行かう。」「あゝきっと行くよ。あゝ、あすこの野原はなんてきれいだらう。みんな集ってるねえ。あすこがほんたうの天上なんだ。あっあすこにゐるのぼくのお母さんだよ。」カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。》

「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない」・・・
そうジョバンニがそう思えるようになるまで、
カムパネルラはジョバンニの側についていたのです。
しかもみんなのほんとうの幸いを探しにいくことを
ジョバンニがほんとうに決心するまで。

「ほんたうの天上へさへ行ける切符だ。天上どこぢゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈」
ジョバンニは生きる限り、
どこまででも行ける切符をその手に持っているのだということを自覚させ、
たとえ自分がいなくても、暗闇のなかでも突き進んで行く勇気と力を与えてから
カムパネルラは消えたのです。

「ついて行ってやった」と「ついて来てもらった」は全く違う。
逆を考えてみたとき、
ジョバンニが銀河鉄道に乗った理由がはっきりとわかるような気がします。

賢治を残して行ってしまった人々・・・
子供の頃から、賢治は何人もの大切なひとを失っています。

なかでも最愛の、不憫な妹トシを失った賢治が
死後も彼女の存在を感じることによってその喪失感と哀しみから立ち直っていく姿は
ジョバンニに寄り添うカムパネルラと、立ち直っていくジョバンニの姿と重なって見えます。

さらに、ジョバンニに寄り添うのは、カムパネルラだけではなく
一緒に汽車に乗り込んで関わったすべての人たちです。

ジョバンニはひとりぼっちで生きて行かなくてはならない、
けれども、決してひとりぼっちではない。
だって、すべてのひとがジョバンニを支えているのだから!

はたして賢治はそう描きたかったのか、どうか。
けれども、もう、私にはそのような物語にしか読めなくなってしまいました。

「銀河鉄道の夜」という物語は、まさに「グリーフワーク」そのものの
物語ではないかと思います。

トシについていってやりたいと願った賢治は
じつはトシに寄り添われて生きていったのだと思います。

私もまた、今、たくさんのひとに支えられて
生きていられることに感謝しています。


浜垣誠司さんブログ「第7回イーハトーブ・プロジェクトin京都・終了」→こちら
竹崎利信さんブログ「悲嘆の旅の彼方に―おしまいは『銀河鉄道の夜』」→こちら  

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