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『ルバイヤート』(イーハトーブの旅・番外編) [本]

いきなりですが、番外編です。

二日目にイーハトーブ館で行われた
「第22回宮沢賢治学会イーハトーブセンター研究発表会」を聴きに行きました。

今年は3名の方の発表があり、
そのうちのお一人、穂束恵美さんという方が「賢治の少年」と題し
野尻抱影著「星の巡礼」からの「銀河鉄道の夜」への影響を述べていました。

私は最初のほうで触れられていた友竹藻風の邦訳による『ルバイヤート』に興味をそそられ
帰宅してから早速注文して手に入れました。
ありがたいことに、この本はロナルド・バルフォアの美しい挿絵で復刊されていたのです。

この本を実際に手にとってみて、
何点か気づいたことがあるので今回はそれを書いてみます。

まず、穂束さんは竹友藻風が野尻抱影と早稲田大英文科で机を並べたと言っておられましたが
藻風は京都帝国大学英文科選科修了となっており、
ウィキペディアにも同じことが書かれています。
ということで、はたして野尻抱影との接点が不明です。

それにエドワード・フィッツジェラルド英訳・竹友藻風邦訳の
『ルバイヤート』が出版されたのは大正10年。
保阪嘉内が『アザリア第4号』に「打てば響く」を載せたのは大正6年です。
嘉内や賢治がこの本を読んだという可能性は全くないとはいえませんが
少なくとも彼等が最初に『ルバイヤート』に触れたのはこの本ではないと言えます。

では、嘉内はどこで『ルバイヤート』に触れたのでしょうか。

そう思ってこの本と校本にある「打てば響く」の文中の英詩を見比べてみると、
その英語文が違っていることに気づきました。

復刻版の詩は
And that inverted Bowl we call The Sky,
Whereunder crawling coop'd we live and die,
Lift not your hands to It for help--for It
As impotently rolls as you or I

一方、嘉内の詩は
And that inverted Bowl we call The Sky,
Whereunder crawling coop't we live and die,
Lift not thy hands to It for help--for It
Rolls impotently on as Thou or I

う~ん、なんてこと。
もしや嘉内が読んだのはフィッツジェラルドの英訳ではなかったのかしら!?と
あわてて調べてみました。

するとフィッツジェラルドは生前に改訂・増補を加えながら第4版まで出版し、
さらには死後に第5版が出版されており、
訳詞語句の大きな改訂は第1版と第2版の間に行われたようなのです。

第 1 版-1859年  (75 首)
第 2 版-1868年  (110首)
第 3 版-1872年  (101首)
第 4 版-1879年  (101首)
第 5 版-1889年  (101首)

本の解説によれば竹友藻風のものはこの第2版を元に訳されているとのこと。

嘉内の詩と藻風の詩の一番の違いは
嘉内の詩は第1版であり、「あなた」を表すのがThou という古い言葉が使われていることで
藻風の第2版からは You という現代語が使われていることです。
つまり第1版とそれ以降のものは一目瞭然というくらい違いがあります。

そして、日本で『ルバイヤート』をまとめて訳したのは上田敏の1899(明治32)年が早く
それ以降の蒲原有明などによる数編の翻訳にしても、
すべて第4版をもとに訳されています。

注目は、1916(大正5)年から1917(大正6)年にかけて
受験英語誌『英語の日本』に15回に渡って連載された
小川忠蔵の訳注ですが、これもまた、第4版によるものでした。

つまり、日本で訳され紹介された『ルバイヤート』は第4版がほとんどで
第2版の藻風のものは珍しく、それにしても
嘉内の親しんだ第1版のものではないのです。

ということは、嘉内は第1版の原書か何かを読んだ、と言えるでしょう。
それを得るきっかけは甲府中学の嘉内の恩師であった野尻抱影だった可能性は大きいと思います。

ただ、以上のような理由から
嘉内及び賢治の、竹友藻風との接点や影響は考えにくいと思うのですが、どうでしょうか。


それから発表後の質疑応答の時間に、会場にみえた男性から質問のあった
配布資料のルビの件ですが
「黄水晶」にふられていた「トパーズ」への疑問に対し
穂束さんは、賢治がふったものだと断言していましたが
校本を調べてみても、どこにもルビは見あたりません。

同じく引用されていた『銀河鉄道の夜』の「アルビレオ」の文、
「眼もさめるやうな青宝玉と黄玉…」の部分にもルビはありません。


賢治が抱影から影響を受けていたということは
以前からいわれていたはずだと思いますし
この研究の題が「賢治の少年」というのがいまひとつ分からずじまい。

保阪嘉内が賢治にもたらした影響というテーマは
非常に興味があることだけに
検証が充分にされていない研究発表は残念な気がしました。

ただ、美しい『ルバイヤート』に注目するきっかけを作ってくださったので、
その点はとてもありがたかったのです。


追記(9月28日):
       国立国会図書館デジタル化資料で、大正10年発行の竹友藻風『ルバイヤート』が見られます。
       →こちら
       挿絵が美しいですね。
       但し、これには藻風の邦訳のみで、フィツジェラルドの英詩は掲載されていません。

追記2(9月28日):
       野尻抱影からの影響が以前からいわれていたと書いてしまいましたが、
       私の間違いで、草下英明さんが指摘していたのは
       吉田源治郎の『肉眼で見える星の研究』1922(大正11)年発行からの影響でした。
       ただ、そうなると、穂束さんの主張する、
       賢治が影響を受けたのが(『肉眼~』でなく)『星座巡礼』だという理由は
       何だろう、と言う疑問が残ります。
       

参考書籍:

☆『新校本 宮澤賢治全集 第十六巻(上)補遺・資料』(筑摩書房)

☆『ルバイヤート 中世ペルシアで生まれた四行詩』
     オマル・ハイヤーム 著/エドワード・フィッツジェラルド 英訳/竹友藻風 邦訳
     (マール社)

参考サイト:こちら→

目吉センセー [本]

一作読めば次も読みたくなる高橋克彦さんのホラーミステリー

『闇から来た少女ードールズ』(中公文庫)を何気なく手に取ったら
もうすっかりこの世界に引き込まれてしまいました。

この一作目を読み終えた後には、
恐ろしいはずの「目吉センセー」に深い愛情を覚えている自分に驚き、
私はどこかおかしいのだろうか、と思ってみたり…

そしてその続きが読みたい想いにかられて調べてみたら
やっぱりやっぱり、連作されているシリーズものだったことがわかり
気づけばアマゾンで即、3回もポチリとしていました。

2作目以降の作品を読んで、
私の感覚が決してヘンなわけではないことがわかってちょっと安心。

(ネタバレになってしまうと楽しみが半減してしまうといけないので
一作目だけは読み終えてから以下を読んでくださった方がいいかもしれません)



『闇から覗く顔』『闇から招く声』『月光天使』の3作を一気に読んだのですが
まぁ、その怖いこと。
寝苦しい真夏の夜に読むにはいいシリーズかもしれませんが
特に3作目の『闇から招く声』は、冒頭から残虐な殺人現場の描写から始まり
以前はずみで『冷たい熱帯魚』という、思い出すのも嫌な、趣味の悪い映画をみてしまってから
もともと嫌いだったスプラッターものがもっと嫌いになった私だったので
うへー、と思ったのでした。
しかし、そこは高橋センセー。
ただ怖い気持ち悪いだけでは終わらないので
夢中になって読み進んでしまいました。


4作目の『月光天使』はもう、ホラーもサスペンスも越えた壮大なファンタジー。
「ファンタジー」というと現実味のないおとぎ話の世界というイメージを持つ人もいるかもしれませんが
実はファンタジーは真実を表しているものだと私は感じています。

ともあれ、時にお茶目で頼りになる目吉センセーが大好き。
シリーズの続きは雑誌ですでに発表されているようなのですが
私は単行本になってからのお楽しみにしたいと思います。
いよいよ目吉センセーの前世のことが明らかになるのでしょうか…。


わたしがこれらを読んで感じたのは
人は皆、じつは8歳の少女に生まれ変わってしまった目吉センセーと同じなのではないか、と思ったこと。
自分がどこから来たのか、何ものだったのかを思い出せないでいるだけで
物心ついてからは、私はなぜここにいるのか、何者なのかを思い悩む。

身体は入れ物にすぎず、
たまたま在る時代にその環境にいる「ある人」の身体に入り込んで生まれてくるだけ。
本来、魂は自由で生き生きとしているもの。
人は一生をかけてそのことを思い出すために生きるのかもしれません。
突然自分の身体が小さな女の子のものであることを
最初は理解できずに驚き哀しんだ目吉センセーのように
「オレはなんでここにいるんだ」ともがき苦しむ。
窮屈で理不尽でたまらなく生きていることを否定したくなったり嫌悪したりもする。

でも、一旦、自分は彼方から来て、また彼方へと戻っていくのだと気づいたとき
初めて魂はふたたび解放される。
自由な魂ほど、強いものはないように思うのです。

そして…。
私はいったい誰なんだろう?と考えてみる。

1920年代にひっそりと誰かを想っていた少女だっただろうか。
それとも1960年代に長い髪に花を挿しバンダナを巻いて歌っていた女性だっただろうか…。
(またそっちかい、とどこからか声が聞こえた気がしますが…)

ドールズ写真.JPG


「夢見るビートルズ」高橋克彦 [本]

高橋克彦さんの自伝的小説『幻日』(小学館)に収められている一遍、「夢見るビートルズ」。

高橋さんが音楽に精通しておられることは
作品やウェブサイトなどから知ることができ、
ビートルズに初めて会った日本人ファンだということも
何かで読んではいたのですが…

演劇部の活動や音楽に熱心で
受験勉強にも身が入らずにいた高校2生の岳彦(克彦)少年。
3年になり、休学して従兄の誘いでヨーロッパ旅行に同行することになったのです。

従兄とその友人の3人で出発したのは1964年9月。
意見の違いから衝突し喧嘩したり、予定を変更したりしながらも
約一ヶ月後、ロンドンにたどり着きます。

そこで岳彦少年は、意を決してビートルズの公式ファンクラブのドアを叩く。
二人に笑われながらもこの旅行の最大の夢を叶えるために。

そこにいたマイケルにおずおずと差し出した自己紹介の紙。
地球の反対側からはるばるやってきた少年の出現に驚きと感嘆のマイケル達。
「ビートルズには会えないけど、会員証ならすぐ作ってあげる」


翌日になって、従兄も一緒に再び訪れると、
明日のグランビル劇場での公開録画に招待されることになったのです。

それから後のことは、読みながらドキドキワクワク、
まるで自分が岳彦君になったような気持ちで興奮して一気に読みました。

黄色い歓声の女の子達に混じって
本物のビートルズを目の前にしていることの、夢見心地。
「カンサス・シティ/ヘイヘイヘイヘイ」「ボーイズ」「アイム・ア・ルーザー」
たった3曲でも、ファンにとっては卒倒するほどの興奮とよろこび。
私も中学1年に初めて聴いて以来のビートルズファンなので
想像するだけで鳥肌が立つほどのエキサイティングな場面。

ところがそれだけではない!
なんと、岳彦君のヤッケの日の丸を認めたポールによって
ステージに呼ばれた二人。
ジョンに促され、4人に囲まれて中央に立つ二人。

こんな夢物語が実際にあったことなんだ…と私はまるで
自分のことのように感激していました。

「金持ちのドラ息子なんかじゃねえ。泣き言一つ言わねえで付いて来る。おめえが居なきゃとっくにあいつと喧嘩別れしてたさ」
という従兄の言葉どおり、
他人任せではなく
強い意志と勇気でつかんだ夢だからこそ、の感動。

さらにはこの旅行で、岳彦君は
日本人として自国の文化を知る必要性も大いに感じ
結果として浮世絵への興味と探求心を得たのだと思います。
それは彼のその後の作家への道へと導くものでもあったということは
ビートルズと遭遇したことも含めた様々なこの旅行での体験は
彼にとって必然だったのですね。

人にとって、偶然なんていうものはなくて
すべてはいろんなものに繋がっていくし
幾つになっても、冒険やチャレンジ精神は無くしてはいけないのだよ、と
この短編に励まされた気がします。

この頃のビートルズは映画「ハードディズナイト」が封切られ
人気も実力も揺るぎないものへと一直線に突き進んでいたとき。
彼ら自身も恐らくもっとも無邪気に成功を楽しんでいたのではないでしょうか。
そんなビートルズに会って生で演奏を聴き話をしただなんて
やっぱりどう考えても、凄いことなのです。

ああ、タイムマシンに乗って1964年に飛び、
岳彦君にくっついて行きたかった!

1964年の10月3日、ロンドン・グランビル劇場にて収録の
アメリカのTV番組『シンディグ』の映像はこちら→sindig
この会場に若き日の高橋克彦さんがいたのですね。

映像はよくありませんがこちらも→フルバージョン

『大空放哉傳』河本緑石 [本]

待望の、『大空放哉傳』が2011年春に復刻されました。

大空放哉とは自由律句の尾崎放哉のことです。

緑石は本書を亡くなった年の昭和8年に脱稿しましたが
出版されたのは死後の昭和10年でした。

以前たまたま当時の本を手に取る機会があり
「桃咲くところー自序にかえてー」の部分を読んだことがありました。
そこには放哉の生家を訪ねたときのことが書かれてあり
今は亡き放哉の子供の頃の姿をそこに見る緑石の深い想いが
私にはとてもよくわかり涙が出たのでした。

緑石がなぜそれほど放哉に惹かれたのか。
私はそのあたりにも興味があり、この本の復刻を心待ちにしていたのです。

酒癖が悪く、そのせいで仕事や人間関係もうまくいかなかったといわれている放哉。
大勢がいうからほんとうでもないし、少数だから間違いでもない。
緑石は、不器用な生き方しかできない放哉の心に
常に寄り添って筆を進めています。

緑石自身はといえば、きちんと仕事をし、家庭を大切にして
生徒から「仏さん」というニックネームをもらうほどで
誠意をもって人に優しく真面目に生活をしていた人だけれど
その裡ではどこかたまらなく寂しく何かを渇望する心を抱いていて
それらが作品となっていた人ではないかと思うのですが
どこかで放哉と共感するものを強く感じていたのでしょうか。

放哉は、放浪の人という印象があるけれど
よく見てみると、
1911年に東洋生命保険に入社してから10年は勤め、
その後勤務した朝鮮火災海上保険を1923年に辞めるまでは
サラリーマンとして仕事をしていたのです。
同じ1923年には肋膜炎悪化のため入院しており
それ以降、一燈園、知恩院、常高寺などを転々とし
小豆島の南郷庵に渡ったのは1925年の8月。
そこで亡くなったのは翌年4月7日のこと。

おそらく、肋膜が悪い、というのは結核と結びついており
余命を悟った放哉が、それならばと
ある意味覚悟をもって、長年連れ添った妻とも別れ
世捨て人のような生活を選んだのではないでしょうか。

そう思ってみると、放哉はダメな人、弱い人、という認識とは
少し違って見えてきます。

南郷庵に移ってから数ヶ月、
進行する病とともに冬は辛く厳しくなっていく。

耐えてようやく待ち望んだ春が来て、
あばら屋の机の上に置いた木瓜の鉢の花が咲いたのを見届けて
放哉はひっそりと生涯を閉じました。

『大空放哉傳』の冒頭に書かれている、
「放哉は桃花が好きであった。『私は花が好きで…ドンナ花でもスキだ。花がないと淋しくてね』という放哉。放哉は花が好きであった。」ということば。

緑石の放哉への共感は、その心にあったのでしょうか。




鳥取県倉吉市の河本緑石研究会HP→こちら

『まほろばの疾風』と『原体剣舞連』 [本]

  原体剣舞連(はらたいけんばいれん)
           (mental sketch modified)

      dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
   こんや異装(いさう)のげん月のした
   鶏(とり)の黒尾を頭巾(づきん)にかざり
   片刃(かたは)の太刀をひらめかす
   原体(はらたい)村の舞手(おどりこ)たちよ
   鴇(とき)いろのはるの樹液(じゆえき)を
   アルペン農の辛酸(しんさん)に投げ
   生(せい)しののめの草いろの火を
   高原の風とひかりにさゝげ
   菩提樹皮(まだかは)と縄とをまとふ
   気圏の戦士わが朋(とも)たちよ
   青らみわたる顥気(かうき)をふかみ
   楢と椈(ぶな)とのうれひをあつめ
   蛇紋山地(じやもんさんち)に篝(かがり)をかかげ
   ひのきの髪をうちゆすり
   まるめろの匂のそらに
   あたらしい星雲を燃せ
      dah-dah-sko-dah-dah
   肌膚(きふ)を腐植と土にけづらせ
   筋骨はつめたい炭酸に粗(あら)び
   月月(つきづき)に日光と風とを焦慮し
   敬虔に年を累(かさ)ねた師父(しふ)たちよ
   こんや銀河と森とのまつり
   准(じゆん)平原の天末線(てんまつせん)に
   さらにも強く鼓を鳴らし
   うす月の雲をどよませ
     Ho! Ho! Ho!

       むかし達谷(たつた)の悪路王(あくろわう)
        まつくらくらの二里の洞(ほら)
        わたるは夢と黒夜神(こくやじん)
        首は刻まれ漬けられ
   アンドロメダもかゞりにゆすれ
        青い仮面(めん)このこけおどし
        太刀を浴びてはいつぷかぷ
        夜風の底の蜘蛛(くも)おどり
        胃袋はいてぎつたぎた
     dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
   さらにただしく刃(やいば)を合(あ)はせ
   霹靂(へきれき)の青火をくだし
   四方(しはう)の夜(よる)の鬼神(きじん)をまねき
   樹液(じゆえき)もふるふこの夜(よ)さひとよ
   赤ひたたれを地にひるがへし
   雹雲(ひやううん)と風とをまつれ
     dah-dah-dah-dahh
   夜風(よかぜ)とどろきひのきはみだれ
   月は射(ゐ)そそぐ銀の矢並
   打つも果(は)てるも火花のいのち
   太刀の軋(きし)りの消えぬひま
     dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
   太刀は稲妻(いなづま)萓穂(かやぼ)のさやぎ
   獅子の星座(せいざ)に散る火の雨の
   消えてあとない天(あま)のがはら
   打つも果てるもひとつのいのち
     dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah


賢治がこの詩にうたった悪路王とは、蝦夷(えみし)の首長アテルイのことだといわれています。

私は '92年の最初の岩手旅行達谷窟毘沙門堂 を訪れているのですが、
なんとも歴史に疎く、蝦夷のことはその昔大和朝廷に従わず刃向かっために征伐された民族、
くらいにしか認識していませんでした。
賢治のこの詩に関しても、よくわかっていなかったのです。


熊谷達也さんの作品『まほろばの疾風(かぜ)』は
そのアテルイの物語です。
まつろわぬ北の民、蝦夷は、屈することを拒み戦いを挑むものの
結局、大和朝廷に飲み込まれてしまう運命でした。
最期まで抵抗し戦い続けた首長アテルイは、
ついには捕らえられ斬首されたのです。
それゆえ、この小説の最後はきっと壮絶で悲惨なものに違いない、
アテルイは大和に対する憎しみと恨みのなか
怨念を残して死んでいったのだと思っていました。。

ところが意外にもここに描かれた結末はそうではありませんでした。
田村麻呂率いる朝廷軍に包囲されもはやこれまでと観念したアテルイとモレは
大和に屈していいなりになるよりは、自ら首を切られることを選びます。
処刑場でアテルイとモレが最後に見たのは青空と白い雲。

「我ら蝦夷よ、未来永劫、北のまほろばに吹き荒れる疾風(かぜ)となれ!」

彼らが最後まで保ち続けたのは誇りであり、
精一杯生き、力の限り戦いぬいた者の潔さは
すがすがしささえ感じました。
かつて現在の岩手を中心に躍動した部族たちがそこに在り、
そして今も、かれらは大気圏の風になって
吹きわたっているのだと思うと
なんとも言えぬ感動に包まれました。

東北が今もなお、なにかしら侵しがたい雰囲気があるのも
きっと彼らが永劫その地を見つめ包んでいるからなのではないかと思えるのです。

「打つも果(は)てるも火花のいのち
   太刀の軋(きし)りの消えぬひま」と賢治がいったとおり
敵も味方も、すべては一瞬の夢のようなこと。
しかしその一瞬の命をどう燃やすかは、とても大事なことだと思います。
これは当時のような「戦」などとは無縁の現代人においても
言えることだと思うのです。

どうせ短い命。
それなら何ものにも屈せず
つまらない欲や他人の価値観などに振り回されることなく
己の思うままに、納得のいくままに生きるのがいい。
ひとを恨んだり憎んだりすることもまたばかばかしい。
それよりもひとを思い、愛しいものを守るために戦うのがいい。


平泉の西光寺などの「縁起」には
蝦夷達を「良民を苦しめ女子供を掠める等暴虐限りをつくし」としていますが
これはあくまで中央の側の言い分であって
歴史とは、征服者のものだから仕方がないのだけれど…。


さて、賢治は、蝦夷やアテルイをどうとらえていたのでしょうか。
かねてから『原体剣舞連』の
     青い仮面(めん)このこけおどし
     太刀を浴びてはいつぷかぷ
の部分がどちらの軍のことなのかわかりかねていたのですが
この小説によって、789年の「巣状の戦い」の様子だと合点がいきました。
朝廷軍4000に対し、蝦夷軍300が北上川を隔てて対峙し
背後から回り込んだ800,400が挟み撃ちにし
溺死1036,裸で泳ぎ着く者1257という壊滅状態にさせたのです。(数字はWikipediaによる)

この詩での賢治の描き方は
はじめに「むかし達谷(たつた)の悪路王(あくろわう)」からの4行で
アテルイの死様を描き
その次に「アンドロメダもかゞりにゆすれ」をはさんで
「青い仮面(めん)このこけおどし」からの4行で
朝廷軍の死様を描いて並べています。
ということは、どちらが正義か悪かではなく
「打つも果てるもひとつのいのち」、
同じ地上に生まれた等しい命だということなのではないでしょうか。

「気圏の戦士」とは朝廷軍のことで、野蛮な蝦夷を征伐するさまを
賢治が描いたのだという見解もあるようですが
私にはどうしてもそうとは思えません。

「気圏の戦士」とは未来の担い手、
「アルペン農の辛酸(しんさん)」に身をささげる原体村の踊り子達であり、
「敬虔に年を累(かさ)ねた師父(しふ)たち」への畏敬の念と
彼らに接した感動にほかならないのではないでしょうか。

鬼剣舞は念仏踊りが起源ともいわれ
祖先の霊を鎮めるためとも、蝦夷たちの悪霊を退散させるためともいわれますが
『原体剣舞連』を読むと、蝦夷たちの霊を慰める鎮魂の舞だという気がします。
とても賢治が悪霊退散の舞と捉えていたとは思えないのです。

アテルイの息子人首(ひとかべ)は父の死を伝え聞き、
攻め込んでいって討ち死にしたといわれ
その時まだ15,6才の若さだったといいます。
その最期の地は、賢治の好きな種山ヶ原でした。
そういえばたしかに「人首」という地名があります。


1917(大正6)年の秋、21才の若き賢治が
黒い装束に鬼の面を着け、頭の飾り羽根をゆらし
舞い踊る剣舞を初めて見たとき、
蝦夷の力強さと妖しさに惹かれ、覚えたのは
かつてこの地で、儚く消えたたくさんの命への鎮魂と
野山を駆け抜けた勇ましくまつろわぬ者達への憧れ、
その舞を長く伝え続けてきた人々への畏敬の念だったのではないでしょうか。

今は同じく熊谷さんの『荒蝦夷』を読んでいますが
こちらはアテルイの父(?)アザマロが中心の話。
違った切り口でこれもまた面白いのです。

さらにその後は今度は高橋克彦さんの『火怨』を読むつもりであり、
すっかりアテルイにはまってしまっている昨今です。

「九月が永遠に続けば」沼田まほかる [本]

息抜きに娯楽小説でも、と思ってこの本を手に取ったのですが。

とんでもありませんでした。

「九月が永遠に続けば」沼田まほかる(新潮文庫)

この作品は第5回(2004年) ホラーサスペンス大賞受賞を受賞していて
分類もサスペンスとなっているようですが
ひとつのジャンルには到底おさまりきらないような気がします。

驚くのはこれがデビュー作だということ。
素人の私から見ても、この人の筆力はただものではない感じ。

高校3年生の一人息子が突然行方不明になるところから事件が始まり、
入り組んだ人間関係とそれぞれの中に渦巻くものが絡み合って
物語が進んでいきます。
かなりショッキングな内容が含まれていて
とてもここに書く勇気は私にはありません。

しかし現実にはまず起こりえない事件にもかかわらず
登場人物すべてが妙にリアリティを持って迫ってきます。

冒頭から物語に引き込まれ
まるで自分が主人公佐知子になったように
夜更けにゴミを出しに行ったまま帰らない息子を
必死で探し続けていく。
佐知子だった私が次には息子の文彦の気持ちになり
得体の知れなかった血の繋がらない妹冬子になる。

いつしかそれぞれの人物がくっきりと、
内側も外側も輪郭を持って立っていることに気づきます。

とても現実にはありえないようなことの連続、
だからこその小説なのですが
読み終えてふと、
これらはもしかすると程度の違いはあれ
誰もが抱えているようなことかも知れないと思ったのです。
皆、表面上は何ごともないような顔をして
装って平穏に生活しています。
けれども、悲惨な記憶や耐え難い辛さなどには
蓋をして何もなかったことにして生きているのではないか、と。

平凡で幸せそうにしているけれど、
誰もが胸の奥深くに沈めているものはあるのかもしれません。

自分の中の深い深い闇の部分は正視ができない。
目を向けてしまえばその底なしの闇に引き込まれてしまう。
とても正気では生きていけない。

なかったことにして沈めているものが、
実はその人の人格をつくっているのではないだろうか。
本人が意識しようがしまいが、
立ち振る舞いや仕草のひとつひとつにも現れているのではないか。
そんな風に思えます。

本当は誰もが皆抱えている深い哀しみ。
しかしそうやって生きていくしかない。

そう思うと逆に、何があっても生きて行かなきゃ、とも思います。

この本の最後の2行。
そこにすべてが集約されているような気がします。
重い内容だからこそ、このなんでもない行為の先に救いが見えた気がしたのです。

『賢治の北斗七星』三上満 [本]

三上満さんがドラマ「金八先生」のモデルになった熱血先生で
韮崎の保阪嘉内のイベントなどにも折に触れお越し下さっていることは
これまでに多少聞いていました。

そんなこともあり
三上満さんの本を読みたいと思いながら
ずるずると後回しになってしまっていました。

読み終えた今、もっと早く詠むべきだったと思います。


この『賢治の北斗七星』(新日本出版社)は、2009年10月に出版された本です。
しかし一ページの最初、「まえがき」の一行目からドキリとしました。
 
 人間は今、大きな分かれ道にさしかかっているようです。世界に広がる暴力と報復の連鎖をどう絶ちきるのかという問題、永続してつないでゆける地球をどう守るのかという問題、生きる喜びと希(のぞ)みを次の世代にどうつないでゆけるのかという問題、どれひとつとっても人類の存亡にかかわる問題です。
 そうした根本問題が全面に出てきて、否応なしに私たちに選択を迫っている。それがまさに“現在(いま)”だと思います。
 それらの根本問題のどのひとつにも、深くかかわるメッセージを送り続けている先人の一人は、まぎれもなく宮沢賢治です。

3.11以前から、このような危機感をはっきりと持たれて
この本を書かれていたことに驚きました。

賢治との出会いと、学生運動の時代を背景に遠ざかった一時期のこと、
そして2冊の本をきっかけに再び賢治に戻ってきたことなど
三上さんご自身の体験を手始めに、
賢治の作品や行動を通し、“宮澤賢治”とは何者かという難しい問に
この本はわかりやすい言葉で答えてくれています。
少なくとも私にはそうであり、
心の底に抱き続けてきた根本的な疑問やわからなかったことを
目から鱗が落ちるように示してくれた本です。

賢治が生涯をかけ成そうとして結局何も成し得なかったことに関して
心のうちでは肯定していたものの
誰かに「結局何にも成功していない」と問われれば
恐らくきちんとは言い返せなかったことの、
その答えもここにありました。

賢治に対してなんとなく見過ごしていたものや曖昧のままできたことが
明確な言葉となって示される連続に驚きと喜びを感じながら読みました。

たとえばレーニンのトルストイに対する言葉、
「彼の遺産のうちには過去のものとはならなかったもの、未来に属しているものがある」
これを賢治にあてはめれば
いや賢治だけでなくすべてにあてはめれば
視点や考え方が変わってきます。

形にならず成功したものがないから価値がない、とか
いくら努力したからといって結局失敗に終わったなら意味がない、
などと思ってしまいがちですが、
それは目に見えるものにしか見ていないからかもしれません。

賢治が探しつづけた「まことの言葉=真言」とはいったいなんだろう、と
思い続けていた答えも見つけることが出来ました。
そのキーワードはすなわち「未来に属するもの」に違いない。
ジョバンニが、ブドリが、探しに行ったもの。
もちろんカムパネルラも、イーハトーブの住人の誰もがみな
迷いながら間違いながら探していたもの。
ーそうだ、みんな「未来に属するもの」だ。
「他の生に託し繋げていくこと」だ。

童話「双子の星」や「烏の北斗七星」が当時の背景や情勢を投影して
書かれたことなども見過ごしていたことでした。

大烏と蠍の戦いは第一次大戦末期の凄惨な戦い。
烏の北斗七星に出てくる“お腹をすかせて出てきた山烏”は
飢餓で苦しむロシアに対し日本がシベリア出兵を続けたことや
あるいは大戦中同盟国だった中国に対華二十一ケ条要求をつきつけ
激しい抗日闘争が巻き起こっていたことなど。

賢治はしっかりとその時代の事象を練り込み
そこに生きなければならない者の視点を通して
その心情と、時代や情勢を越えた真の祈りを描いていたのだと気づかされ
今更ながら賢治の作品に対する姿勢と
そこに込められたものの大きさ深さに感銘を受けます。

「賢治の思いがいつも帰ってゆくところ、
自分と向き合うことが必要になったとき、必ず行くところ、
それは七ツ森・小岩井・くらかけ山の岩手山麓。」
そうだ、たしかにそうだ。
賢治が追い求めていたものは、もう一人の“自分”ではないか。
「双子の星」の双子は自分ともう一人の自分自身。

賢治と嘉内の関係についても
ぼんやりとそうではないかと思っていたことが
この本を読んで、はっきりと確信が持てるようになりました。

そして妹トシに対する想いについても。

「よだかの星」のよだかはなぜ天に向かって飛び続けたのか。

これらはまた、別々に追って記事にしたいと思います。

三上さんのような優れた教育者が
若い頃に賢治と出会い、迷いながらも賢治を愛し、
賢治に寄り添われながら歩いてこられたことに感動と深い共感を抱きます。

この本のサブタイトルは
「明日へのバトン」です。

地球規模での大きな岐路に立っている私達が
今こそ「まことの言葉」を探し、
「未来に属するもの」をこそ何よりも大切にし
次の生へと繋げて行くことが唯一の道であり、
賢治がすべての作品のなかで主張しているのは
このことにつきるのではないでしょうか。

世界が滅ぶのか再生するのか。
それは今の私達の手にかかっていることは間違いはないと思います。
バトンをなくしたり壊してしまっては取り返しがつかないのです。

「萩尾望都作品集 なのはな」 [本]

収録されている「なのはなー幻想『銀河鉄道の夜』」のタイトルに惹かれて
萩尾望都さんの最新刊「萩尾望都作品集 なのはな」(小学館)を読みました。


「あの日」から、私は胸のザワザワが止まらなくなった。今は、きれいで美しいものは描けないと思った。ずっとザワザワしていた気持ちが、これを描き終わった時、ちょっと静かになりました。(帯より)

3.11以降、誰もが立ち止まり
なにも手に付かなくなってしまいました。

でも、そんな中に一筋の光を見いだしたとき
萩尾さんは描きたいという意欲を取り戻し、
筆を取る決心をなさったのだとあとがきに書かれています。

「なのはな」の見開きいっぱいに描かれた大きな一場面、
夢の中で出会った不思議な少女に
主人公ナホが種撒き機を抱かえて言うセリフ

「あなたは…チェルノブイリにいるあたしだね?」
「あたしはフクシマにいるあなた」

そのページに激しく胸を揺さぶられました。

私は福島の人々を心から自分のこととして
想ったことがあっただろうか。
同じく東北沿岸部の人々を、そう感じたことがあっただろうか。

(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

賢治が『春と修羅』の「序」に書いた真の意味が
今万人に問われている気がします。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
ぼんやりとしか理解できなかったことが
原発事故によって、理屈としてはっきり理解できるようになったのは
実に悲しく情けないことだと思いますが
こんなものを造りだしているうちは
人類は破滅に向かっていることは間違いはないのです。

ナホのその後を描いた「なのはなー幻想『銀河鉄道の夜』」は描き下ろしで
賢治の『銀河鉄道の夜』と『ひかりの素足』とのコラボです。
以前私が京都の法然院で鑑賞した中所宜夫さんの能楽らいぶ「光の素足」
萩尾望都さんも以前ご覧になられ、
作品へのインスピレーションを得られたことが
あとがきに書かれています。

それを読み、あの時の夢幻かつ無限の空間が蘇ってきました。
もう一度あの舞台を拝見したいです。

『苦斗じだい』刈屋隼人 [本]

『苦斗じだい』という本を読みました。
こちら
著者の刈屋隼人というのは、宮澤賢治の末妹クニさんのご主人主計さんの末弟。
彼が昭和19年、戦地のニューギニア・ビアク島で書き綴った日誌です。
米軍の手に渡っていたこの日誌が、不思議な経緯で、
クニさんのご子息で賢治と隼人の甥である宮沢信夫さんのもとに戻ったのは
1998(平成10)年のことだそうです。

ビアク島守備隊は昭和19年8月にほぼ全滅、
26歳の刈屋隼人中尉は部下7名とともに生き延びていました。
米軍の目を盗んで食料を探し、飢えと病に苦しみながらも
友軍を待って待って待ち続けていました。

賢治の作品に「飢餓陣営」というのがあります。
なかなか来ないバナナン大将を待って
飢えに苦しむ隊員たちのコミックオペレッタです。

十数年後、妹の親族が同じような状況におかれることになるなどとは
賢治は想像すらしていなかったことでしょう。

隼人にとってのバナナン大将は、空からやってくる友軍だったでしょう。
日本は負けるはずはないのだと信じ、
生き延びてこそ憎い米兵をやっつけるのだと信じていた。
それが使命だと。

そうとはいえ、この日誌は決して激しいものではなく
隼人の資質、ほんとうは優しく詩情豊かで
戦争さえなかったら、文学を志していたかもしれない
繊細な心を持った青年だったことが判ります。

過酷な状況で、自らを励ますように
敵をやっつけるぞ、
友軍は来るのだ、と何度も何度も書き綴っているのです。

「生きて行かふよ 希望に満ちて 希望こそは 人生の指針だ
 希望を失ふと云ふことは 生を捨てることだ」

潜むジャングルの中で小さな虫やトカゲに目を向け
精一杯に生きている姿に人間もまた同じ、と。

ある時は戦火に散った友たちを懐かしみ悲しみを綴る。

彼の最期がどんなものだったのかは誰にもわかりませんが
日誌が米軍の手に渡った、ということから想像がつきます。

前回読んだ『群青に沈め』もそうだったけれど
戦争の全体の姿や状況は最中にある者たちにはわからない。
目前にある現実だけがわかっていることのすべて。
しかしその「戦争」のほんの一部でしかない個々の体験や現実が
かえって戦争というものの姿をリアルにあぶり出し伝えるのではないでしょうか。

遠い親戚である賢治を慕う、
やわらかな美しい心を持ったひとりの青年の手にさえ
銃を持たせてしまう戦争。

今の日本に戦争はないけれど
同じように、あるいはもっと恐ろしいものに
巻き込まれているのではないかという不安。
私達が本当に戦わなければならないものは何だろうか。


ビアク島には今もまだ多数の遺骨、遺品が残されているといいます。
この日誌を今、私達が読むことができるという不思議。

賢治は生前、隼人に会ったことはあったでしょうか。

いずれにしても、義理の弟の為に
この日誌に光を当てようと
賢治が何か作用したのだという気がしてなりません。

『宮澤賢治 友への手紙』 [本]

宮澤賢治が保阪嘉内へ宛てた手紙73通が収められている
『宮澤賢治 友への手紙』(保阪庸夫・小澤俊郎)。

私がこの本と出会ったのは高校3年生の夏でした。
年が明けてお年玉で買った「新修・宮澤賢治全集」とともに
常に本棚の特等席に置いていました。
(読み込んだかどうかは別の話です)

書簡の内容はもちろん、
細かな字でびっしりと添えられている解説が貴重な資料なので
特に最近ではあちこちページをめくったり線を引いたりちょっと書き込んだり。
ところが、この本は数年前に著者にサインを頂くことができて
更に更に大切な本となり、
触るのも気を使っていたのです。

そうしたら年末に、古書で手頃な値段で出ているのを発見!
もとの本は“完全保存版”にして
新しく買ったものを使用することにしようと
即、購入手続きをしました。

本が届いてみると
初版本で昭和46年6月20日発行。
私のは昭和53年11月25日発行の第3刷。
外箱に書かれた値段も620円で、私のは950円となっています。
友への手紙箱.jpg

写真ではわかりにくいですが、箱の活字も微妙に違います。
友への手紙背表紙.jpg

結局なんだか扱いに気を使ってしまいそうです~。

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