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よだかの星 [童話]

『よだかの星』は自己犠牲の話だと
ずっと思っていました。

よだかは「灼けて死んでもかまいません」と何遍も言い、
最後には「燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃え」るのです。

燃えることが自己犠牲、というのは
仏教説話の、仏様に供養するものを探せなかった兎が
自ら火の中に飛び込んで我が身を差し出すというものや
賢治の『グスコーブドリの伝記』などから
そのように思ったのだと思います。


しかし、実際には『よだかの星』には
どこにも「誰かのため」ということは出てきません。
強いて言えばよだかが小さな虫を食べなくてすむように
自ら死を選ぶこと、と言えなくもありませんが…。


前回にも触れたように
「ワルの集い」にて松田司郎先生のお話を聞かせていただいて
その考えが変わりました。
それは私にとって衝撃的な転換でした。

その考えが当てはまるかどうかを確かめるために
帰ってから『よだかの星』を読み直してみました。

…どうしてもよだかを賢治に重ねてしまいます。

今まではお話だと思ってさらっと読んでいましたが
もしここに綴られていることが賢治の苦しみと悲しみであったなら…
と思うと、なんとも辛くなりました。

「へん、また出てき来たね。まあ、あのざまをごらん。ほんとうに、鳥の仲間のつらよごしだよ」…
弟妹は美しいのに、自分は醜く
鷹でもないのに名前はよだか。

名家に生まれたのに、家業が嫌で跡継ぎにもなれず
題目を唱えながら寒行をするために後ろ指を指され
陰で変人とかバカ息子とか言われ、あるいは面と向かっても言われ。

賢治はどうやら自分の名前が嫌だったらしいが
鷹には名前を「市蔵」に変えろと言われるよだかは
「宮沢家」の、「賢く治める」という名前が重荷だったという裏返しか?

虫を飲み込む時、ぞっと感じるよだかは
保阪嘉内にあてた手紙にある「喰われる魚」を飲み込む賢治を連想する。

やっぱり賢治はよだかに自分を投影したに違いないと思えてくる。

あまりの悲しみに
燃えて空の微塵に散らばりたい、と願ったのだろうか。
消えてしまいたい、と逃避したのだろうか。
そしてその思いをこの物語にしたのだろうか。

いや、違う。

よだかは最初、太陽に向かって行き、連れて行ってくれと頼む。
灼けて死んでもかまわない、このような醜いからだでも
灼けるときには小さなひかりを出すはず…というのは逃避願望?

しかし、である。

星に頼んでみろといわれ、
夜になって西のオリオンに頼む。
少しも相手にしてもらえない。

南の大犬座に頼む。
馬鹿をいうな。おまえのはねでは億年兆年億兆年だ。

北の大熊座に頼む。
少し頭を冷やしてこい。コップの中へ飛び込め。

東の鷲の星に頼む。
話にならん。身分と金がいる。

…よだかはかわいそうでしょうか。
いいえ、他人を当てにして、空の高いところへ行こうなんて
誰の願いが叶うものですか。

そうして、よだかは最後には自分の力で、
まっすぐに空へ登っていくのです。

どんなに苦しくても
寒さにからだがしびれてもただまっすぐに飛びました。

いつかよだかは自分のからだが燐の火のような青い美しい光になって、
しずかに燃えているのを見るのです。
いつまでもいつまでも燃え続けました。
そして今でも…です。

考えてみればよだかは
「灼けて死んでもかまわない」と思ったのであって
「灼けて死ぬ」ことが目的なのではありません。


今のままの姿を壊し
新しい自分になりたい、と願うことは
自己犠牲なんかではありません。
現実逃避でもありません。

自分自身と戦って
勝ったものだけが新しい自分に生まれ変われるのです。

よだかは誰にも頼らず
勇気を振り絞って空の闇に向かいました。
そしていつしか自分が輝くのを見たのです。

闇とは、自分の心の中にあるのですから。

よだかが星になるということは
そういうことではないでしょうか。

正しいかどうかはわかりません。
ただ、私はこの物語をそう読みたいのです。

そして、また私自身も
よだかのように、まっすぐに飛んでいく勇気を
持ちたいと思ったのでした。

「双子の星」 [童話]

「双子の星」という童話があります。

賢治の弟、清六さんの『兄賢治の生涯』(ちくま文庫)によると
大正7年の夏に、兄賢治から「蜘蛛となめくじと狸」という童話と一緒に
この話を読んで聞かせられた、とあります。

大正7年とは、その3月に賢治が盛岡高等農林を卒業し、
保阪嘉内が理由も告げられずに、除名処分となった年です。

賢治は嘉内をかけがえのない友と信じ、
二人で同じ願いを立て、
お互いを分身のように感じていたことは
賢治の手紙からも伺えます。

「双子」とは、賢治と嘉内のことに重ねあわせたとみても
決して的はずれではないと思います。

そう思いながら読んでみると
彗星にだまされて海に堕ちたふたり、とは
何の説明もなされないまま学校を除名処分となり
深い失望と落胆のうちに盛岡を去らねばならなかった嘉内のことであり
それを知って、我が事のように悲嘆にくれ、
自分も卒業などせぬといって
家族を困らせた賢治のことのように見えてきます。

なぜなら、海の彗星=くじらに、
「天からの追放の書き付けを持って来たろうな」といわれて
「僕らはそんなもの持たない」と答えるのです。
「どんな悪いことを天上でして来たやつでも書き付けをもたなかったものはいないぞ」

つまりは「書き付け」とは理由であって
嘉内は「理由」なき追放を受けたというのが、
賢治や友人たちの意識であり、またそれが事実だったのでしょう。

先生たちの間を父と一緒に懇願してまわっても、
誰一人明確にその理由を言わず、
ましてや処分が撤回されることはなかったのです。

海蛇がやってきて「あなた方はどうしたのですか。悪いことをなさって天から落とされたお方ではないように思われますが」と言い、
鯨が彼等は書き付けも持っていないと言うと
「お前には善いことをしていた人の頭の上の後光が見えないのだ。割ることをしたものなら頭の上に黒い影法師が口をあいているからすぐわかる」と言って
海の王様のところに連れて行き、
双子は竜巻に乗って天上に帰ることができるのです。

 嘉内さん、あなたは何も悪くない。
 いわれのない誤解をうけて、あのようなことにされてしまった。
 しかし、嘉内さん、
 私たちは再びどんな困難にも立ち直って
 私たちがなすべきこと、人々のまことの幸せを求める道を
 進んでいこうではありませんか。

この童話は、賢治から嘉内へのメッセージだと
私には思えて仕方がありません。

カムパネルラとは誰か [童話]

『銀河鉄道の夜』に登場するカムパネルラのモデルは誰か、というのは
亡くなった最愛の妹トシという説と、
親友であった保阪嘉内という説の大きく二つに分かれるでしょうか。

このところ、『銀河鉄道の夜』を中心に
賢治のことをあれこれ考えているのですが
そこで感じたことがありました。

この原稿は未完成で、手入れによる変化は第4次稿まで分けられており
(第1次稿~第2次稿の殆どは現存せず)
なかでも第3次稿と第4次稿には大きく変化があります。
そのもっとも大きな違いは
冒頭の部分が加えられ
最後の部分が差し替えられたことです。

ジョバンニを導く「ブルカニロ博士の声」が削除され
夢から覚めたジョバンニをまっていたのはカムパネルラの水死。

賢治がこの物語を書き始めたのは1924(大正13)年頃といわれます。
詩『薤露青』が書かれたのもこの頃です。

結論から言うと、トシと嘉内、私はどちらもカムパネルラのモデルであると思います。

死んだトシの行方をどうしても追わずにはいられない自分自身に、
言い聞かせるため、きっぱりとたったひとりの為でなくみんなの幸せを願う方向へいくために書かれたのがこの物語だったかもしれません。
それらの葛藤の化身がブルカニロ博士の声。

ところが、賢治はなぜ、後になってこれらを削ってしまったのか。

この大きな書き換えは、昭和6年ごろからということです。
つまり、出張先の東京で病臥し、自身の死を覚悟した後…。

夢から覚めたジョバンニはカムパネルラが川に落ちたことを知ります。
川はばいっぱい銀河が映り、まるで水のないそのままの空のような水面を見ながら
ジョバンニはカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないようなきがしてしかたがないのです。

河本義行が海で亡くなったことを賢治は知らなかったはずですが
これもじつに不思議な一致です。

賢治が自分の死を覚悟した時、
突然消えてしまうのは
自分の方だという思いはなかったでしょうか。

この頃はすでにトシの死を乗り越え
行方を追うことから離脱していたのではないか。
それゆえ、ブルカニロ博士との会話はもはや
賢治にとって不要となった。

その代わりに「カムパネルラの死」という現実を浮き立たせた。

ブルカニロ博士による説教めいた説明をはぶき、代わりに
「ぼくはカムパネルラの行った方をしっていますぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのです」
という言葉は深い意味を持ってくる。

「いっしょに歩いていた。」
「行方を知っている。」
その後に続く言葉があるとしたらそれは
「そしてこれからもいっしょに歩いていくのです。」
ではなかったか。

つまりは、愛するものの死に接し、これからの自分はどうしたらいいのか、
という問にもとづいて書かれたのが第3次稿までとすれば
みんなの幸せを求めることが一緒に行くことだというのが確信に代わり、
友に思いを託したのが第4次稿だったのではないか、
という思いがわいてきたのです。

冒頭の部分や東京での仕事と重なる部分が加えられたのは
カムパネルラに親友・嘉内を重ねようとしたためで、
最初はトシとの別れをもとに描かれた物語が
自身の死を意識してから、嘉内との関係に発展したのでは…
とうのが今の考えです。

振り返れば、自分は嘉内や愛する者と共に歩いてきたのだ、
そしてこれからも歩いていくのだという想い。

「カムパネルラを探すことは無駄だ」から
「カムパネルラの行方をしっている」という変化は大きい。


ジョバンニとカムパネルラは
どちらも賢治であり嘉内である。
もちろんトシでもある。
そしてみんなの幸せを求めるひとすべてである…。


『銀河鉄道の夜』初期形と定形を読み比べながら
そんな風に感じたのでした。

「インドラの網」(その3) [童話]

旧ブログで以前「インドラの網(その2)」を書いたのですが、
今読んでいる本、見田宗介・著『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』(岩波書店・同時代ライブラリー)にもこの「インドラの網」のことが出てきます。
序章 銀河と鉄道の「二 標本と模型ー時空についてー」の終わりの部分です。

インドらの網(因陀羅網)は、帝釈天(インドラ)の宮殿をおおうといわれる網である。この網の無数の結び目のひとつひとつに宝の珠があり、これらの珠のひとつひとつが他のすべての珠を表面に映し、そこに映っている珠のひとつひとつがまたそれぞれに、ほかのすべての珠とそれらの表面に映っているすべての珠とを明らかに映す。このようにしてすべての珠は、重々無尽に相映している。  それは空間のかたちとしては、それぞれの〈場所〉がずべての世界を相互に包摂し映発し合う様式の模型でもあり、それは時間のかたちとしては、それぞれの〈時〉がすべての過去と未来とを、つまり永遠をその内に包む様式の模型でもあり、そして主体のかたちとしては、それぞれの〈私〉がすべての他者たちを、相互に包摂し映発し合う、そのような世界のあり方の模型でもある。


つまり、網目をそれぞれの〈場所〉としても見立てることができるし
〈時間〉として見立てることもできるし
〈人〉として見ることができる、ということでしょうか。

網目のひとつの「珠」が他のすべての「珠」を映し出している…。
なるほど、「私」という珠は他の人々の珠を感じ影響をうけている。

この美しく世界にめぐらされた無尽の「網」を思い浮かべた時
この図は最近どこかで見たぞ、と思いました。

プラネタリウム版『銀河鉄道の夜』です。

賢治は「銀河鉄道の夜」で星を三角標で表していますが
それを実際の星の位置に置き、線で結んだ場面が出てきます。
それがどんどん増えて立体的に膨らんで行くのす。
そして実は現在このように星の位置を表す取り組みがなされているとか。

私たちも星も
この宇宙自体がそのまま「インドラの網」なんだと思い
先述の部分を読んだ時、その壮大な感覚に酔いしれ感動したのですが
それはやはり、人間はひとりだけでは生きておらず
万物の微妙で美しい均衡のもとに成り立っている世界なのだと感じました。

自分、あるいは人間のことしか考え得ないのは
なによりも愚かなことだという気がします。

他のあらゆる生命は、何も学ばず考えないでも
ありのままでそれを知っている(均衡を生きている)のに
人間は禁断の果実と引き替えにそれを忘れてしまった…。
必要以上に求めるのは人間だけです。


日常の中でついつい「私は私は」と自分のことばかり考えてしまいますが
少し私を離れて後方から全体を見る眼というのを
持ちたいたいなぁと思います。

賢治はおそらくそういう眼を持っていたのですね。
ただ、一方、それが賢治の苦しみのひとつの
大きな原因だったのかもしれませんが…。
その話はまたいづれ。

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