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第6回イーハトーブ・プロジェクトin京都『中所宜夫「中尊」(能楽らいぶ)』 [催し物]

待ってました、今回も素晴らしい企画です。
「宮澤賢治の詩の世界」の浜垣誠司さんによる「イーハトーブ・プロジェクトin京都」、
もう6回目になるのですね、
継続は力なり、毎回の御尽力に頭が下がります。

さて、今回も第2回の『光の素足』と同じく
法然院にての中所宜夫さんによる能楽らいぶですが
ワキに安田登さんが加わって
さらにパワーアップ、どんならいぶになるかと想像しただけでドキドキワクワクです。

ちなみに今、安田登さんの『異界を旅する能』(ちくま文庫)を読んでいるところですが
これが分かり易くて面白い!
「能」の解説にとどまらず人生や魂について考えさせられながら読んでいます。
この本に関してはいずれ詳しくアップしようと思っています。

  第6回イーハトーブ・プロジェクトin京都
    中所宜夫「中尊」(能楽らいぶ)
      シテ: 中所宜夫
      ワキ: 安田登

  日時: 2014年3月2日(日)午後6時開演(午後5時半開場)
  場所: 法然院 本堂(京都市左京区鹿ヶ谷)
   参加費: 2000円(必要経費を除き被災地の活動に寄付します)


そして今回はもうひとつお楽しみ。
毎回チラシの絵を提供なさっているガハクこと鈴木広美さんの絵が展示されます。
やっぱり絵は実物を見るのが何倍もいいですよね、


詳細はこちらでどうぞ→「宮澤賢治の詩の世界」

宮沢和樹さん講演会『祖父・清六から聞いた兄・賢治』 [催し物]

静岡の駿府博物館で10月12日(土)から始まった、
特別展 没後80年「宮沢賢治・詩と絵の宇宙 雨ニモマケズの心」を見てきました。

当日、あまり時間がなく、ぎりぎりまで迷っていたのですが
えいっ、なんとかなる、って感じで慌ただしく。
でも思い切って行ってよかったです。

一番の目的は、宮沢和樹さんの講演。
定員60名の会場になんと170名が押し寄せ、
殆どの人が立ち見ということになりました。
(もちろん遅くから行った私も立ち見…)
夏のように暑かったけれど会場内はさらにヒートアップ。
そんなこともあって講演は少し早めにスタートされました。

賢治さんは、ストイックなイメージがあると思いますが
実は面白く楽しい人だった、という清六さんに聞いた話から。

コートを着てうつむいている写真はじつはベートーベンの真似という話には
会場から「ほー」という声が。
それから、賢治の身長は自称5尺5寸5分、
清六さんとほぼ同じ166~167㎝くらいだったのでしょう、など。

なんのつてもなかった清六さんが
賢治作品を世に出す努力を続けられたのは
高村光太郎さんが賢治の詩を認めてくれたことが支えになったからだそうです。
その光太郎さんに詩集『春と修羅』を読んでくれるよう渡したのは、草野心平さんでした。
光太郎さんは「自分のものよりも後に残る作品かもしれない」とまで言ったそうです。

花巻空襲の時、清六さんが命がけで防空壕の賢治作品を守った話は有名ですが、
和樹さんも、賢治が今も読み続けられ、自分がこうやって話ができるのは
心平さん、光太郎さん、祖父・清六さんらのおかげであり
賢治を読み、表現したり作品にしたりして
後につながる人がいるからだというようなことを仰っていました。

昭和20年4月に花巻に疎開してきた光太郎さんが
なぜ防空壕がないのかと言ったことから防空壕を作ったのですが、
結果的にそのことが賢治作品を守ったこともあって
宮沢家がどれほど光太郎さんを敬愛し感謝していたかがわかります。


3.11の東日本大震災後
賢治の『雨ニモマケズ』がすいぶん取りざたされました。

和樹さんは、震災被害で家族や家をなくした人々の前で
「ガンバレ、我慢しろ」というようなものであり、
はたしてどう思われるのだろうと案じていたそうですが
時がたつにつれて「行ッテ」という言葉が救助やボランティアの人の原動力になると感じ
それでよかったのかなと思うようになったと。

清六さんによれば、一見放蕩三昧の賢治を父・政次郎が認めたのも
この「行ツテ」という生き方があったから。
賢治は行動の人だった。

詩でも童話でもないこの『雨ニモマケズ』を発表することを
清六さんははじめ躊躇されたそうですが、
ここにはこの「行ツテ」、すなわち賢治の生き方が表れているから決心されたそうです。

ちなみに『雨ニモマケズ』の最後の曼荼羅には
「~行菩薩」が四つ入っている、そのことに和樹さんは最近気づかれたそうです。
もちろん賢治はそのことを念頭にこの曼荼羅を描いたのでしょうね。

それから「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」について、
清六さんはこの「が」を抜いてはだめだよ、と和樹さんに言ったそうです。
人間が中心なのではなく
世界が、すべてのものが、という意味なのだと。

講演後の質問コーナーでは良い質問がたくさん出ました。

詩の解釈について訪ねた人がいたのですが
それは書いた本人にしかわからないことであり、
ひとそれぞれでよいのだ、と和樹さん。

清六さんはどんな人でどんなことが思い出に残っているかという質問には、
清六さんは賢治が好きだった即興詩人の国イタリアやイギリスに行きたくて
和樹さんをつれてヨーロッパに行ったのですが、
ベニスのゴンドラに乗っていてハーモニカを吹いていたら
地元の人達がたいへん喜んで、しかもそれが東洋人だと知りビックリされたというお話。

それから、ヒデリ・ヒドリについての質問。
これは、最初に清六さんと光太郎さんが話し合って「ヒドリ」を「ヒデリ」に直したということ。
その理由は、賢治は少なくとも5カ所以上、「で」を「ど」と書き間違えていること。
そして「雨ニモマケズ」は、方言が使われていないこと。

たしかに「ヒドリ」という方言(日雇いの意味)はあるが、
「雨ニモマケズ」は方言ではなく全て標準語で書かれ
この部分だけ方言が使われることはまず考えられない為。

ところが30年ほど前に賢治の教え子の一人が「ヒドリ」が正しいと言ったことを、
まず週刊誌が面白がって取り上げ、火をつけたこと、
そして研究者と論争になった、
裁判をするとまで言い出した人もいたという経緯を話されました。
(「賢治もツマラナイカラヤメロと言っているのに」と言うと会場も爆笑)

清六さんは和樹さんに、「お前はこっちが正しいとか言う必要はない」と言われたそうです。
必要ならば注釈で記せばよいこと、と。

いずれ明らかになっていくことであり
「これは“スキャンダル”だからかかわるな」とも。

私にはこのスキャンダルという言葉が非常に厳しく感じられ
突き刺さったのです。

私も曲がりなりにも、一愛好家としてブログ等で考えや思いを発信している身ですが
正しいことのつもりでいても
果たしてそれがどういう意味を持つのか何のためかを常に考え
襟をただして様々な事柄と向き合っていくべきであり
研究者ではないからとか無名だからとかいって甘えやいいかげんな発言は許されないことだと
喝を入れられたように感じました。

とはいえ、 疑問や考えを提言していくことは必要なことであり
また、誰でも自由にものが言えるようでなければならないとは思うし
何がほんとうで何が間違いかは、
すぐに判別がつかないことも多いとも思います。
問題は、間違いや矛盾が明らかになったにもかかわらず
それを撤回することなく主張し続けたり相手を非難する態度だと感じました。

清六さんが、賢治を敬愛してきたはずの教え子とその取り巻き(?)に対して
あえて“スキャンダル”という強い言葉を使ったのも
恐らくそういったことへの批判と残念な気持ちだったからだと思います。

書いた本人、つまり賢治がこの世にもういない以上、
ほんとうのことがわからない。
賢治作品には本人が決定した定稿がない。
なぜなら、製本されてできあがったものにさえ
数種類のバージョンの賢治による手入れ、つまり書き換えがあるくらいなのですから。

これを、ほんとうに正しいのはどれかを決めることはナンセンスで不可能です。
明かな書き間違えと思われることも
一部の人から言わせるとねつ造になってしまう。

しかしながら、こんな状態の賢治の原稿と
気の遠くなるような膨大な時間と労力をかけて
ひとつひとつ検証し、決定してきた人達がいます。
その人達でさえ、この最終形が絶対正しいとしているわけではない。
必ず、校異をつけ、誰もがもとの原稿の状態を確認できるようにしているのです。

それが、宮澤賢治と他の作家との大きな違い。
最新の校本をみればわかりますが
本文編ともう一冊必ず校異編がセットになっているのはその為です。
誰一人として、どの作品ひとつとして
故意に削除したり付け加えたり、ねじ曲げたりはしていないし、できないようになっているのです。

私たちが今、賢治作品を心ゆくまで安心して楽しんで
咀嚼して自分の血肉にできるのは
その方々のおかげだと思います。

つまり、賢治の原稿を知り尽くして考え抜いて決定された“本文”には
疑惑や邪推の入り込む余地などどこにもあり得ないのです。
このことは『年譜』についても言えることと思います。
不明な点や曖昧なことは、きちんと説明や参照・引用のもとが明記されています。

和樹さんのお話を聴いて
賢治作品を守ってきた清六さんの考え、
「宮沢賢治」の親族としての姿勢、在り方を
清六さんは和樹さんを常に側において示し続けておられたことを感じました。

清六さんはマスメディアや表舞台に出るのは好まなかったそうですが
それでも、かつて、賢治を慕って花巻を訪れる見知らぬ若者を
喜んで歓迎し家に招いた、などという話をよく耳にします。

一方の和樹さんの素朴で誠実にお話される姿からは、
ありのままの賢治の良さを伝えたいという一心が伝わって来ます。

賢治の宗教観についても興味深いことを伺いましたが、
長くなるのでまた次回にでも。


唯一の心残りは、慌ただしくて
じっくり原画を見られなかったこと。
それでも、賢治の絶筆、遺書、絵と
『雨ニモマケズ手帳』のホンモノは見てきました!
鉛筆の跡、筆跡の強弱を見ていたらじーんとしてしまいました。

この手帳は10月27日までで、その後はレプリカになってしまいますので
見たい方はそれまでにぜひ。

       ※

駿府博物館
特別展 没後80年「宮沢賢治・詩と絵の宇宙 雨ニモマケズの心」

2013年10月12日(土)-2013年11月24日(日)

開館時間
午前9時30分~午後5時30分(入館は午後5時まで)

休 館 日
月曜日(※10月14日、11月4日は開館し、翌日休館

サイトはこちら→









行ってきました韮崎! [催し物]

台風が接近しているなか、行ってきました韮崎。

9月15日、第28回国民文化祭の行事として
駅前の韮崎市市民交流センター「ニコリ」で
ソプラノ歌手土井尻明子さんの歌唱と、
宮沢賢治記念館副館長の牛崎敏哉さんの講演会がありました。

土井尻さんは賢治や嘉内が作った
星めぐりの歌、アザレア、勿忘草の歌などを披露。
やっぱりプロの声楽家さんの歌はいいですね~。
特に感動したのは賢治の「剣舞の歌」。
賢治の弟・清六さんの歌った録音が残っているのですが
そのバージョンアレンジして歌ってくださったのがうれしかった!

そして講師の牛崎敏哉さんは花巻の賢治記念館の副館長さん。
賢治の『種山ヶ原』と『風野又三郎』から『風の又三郎』に移っていく過程、
そして賢治が愛読した中里介山の『大菩薩峠』との似ている点について
賢治の深層心理と嘉内とのかかわりを述べられていました。
「富士川の帯」から「春日明神の帯」へ。『大菩薩峠』では「清姫の帯」。
これらの「帯」を見てしまうと不吉な恐ろしいことが起こるというのですが、
賢治の抱く「修羅」の意識と底なしの闇は
嘉内との(宗教上の)別れと『大菩薩峠』を読んだことが大きく関わっているということ。
そんなことを話してくださいました。

そういえば「銀河鉄道」も「銀河の帯」を走ってゆくのですね。
突然現れた真っ暗な闇によって不吉な「別れ」がやってくる。
しかし、賢治は、その闇を乗り越え、別れを乗り越えて、
新たな自分自身を探す旅に出たのではないでしょうか。
嘉内によりかかって、他人を自分ひとりのものとしようとしていた自分の姿を
「拒絶」という鏡によって見せつけられて
一人の自立した人間となるために、やはりそれは必然だった。
自分自身の生を生きるために、
賢治は一度死んで、生まれ変わる必要があったのではないでしょうか。

…なんて、そんなことをぼんやりと考えたりしました。


その後場所を移動して
「花園農村の碑」の前で、毎年恒例の碑前祭。

韮崎は午前中は大雨だったらしいのですが
私が到着したころには小雨に変わり、
その後は晴れ間も広がるほどで
碑前祭も無事終了。
たまにはこんなアットホームなかんじもいいものですね。
そうそう、牛崎さんが突如演じてくれた「鹿踊りのはじまり」、
一瞬で碑前の広場はぎんがぎがの草原になりました。

碑前祭の後に行った「銀河鉄道公園」から中央線を眺める景色は
いつでも素晴らしい。
銀河鉄道が夜空に上っていくようです。

その後は懇親会。
牛崎さん、土井尻さん、ピアノの古垣未来さんと
いつもはるばる来て下さる
つくばの加倉井さん、東京の横山さん、
京都の浜垣ご夫妻(宿泊の都合で途中退席、次回はぜひゆっくりと)、
もまじえて楽しい夜となりました。

ホテルに送ってもらって就寝したものの
なんだか興奮醒めやらずで
午前2時半ころ目が覚めてしまい
昨日のことを思い返してしばらく眠られず。
朝、台風で帰りの足を心配してくれた向山さんの電話がなければ
寝過ごして朝食を食べ損ねるところでした(汗)。

そしてやっぱり台風直撃。

それでも午前中は嘉内の残した資料の数々を見せていただくことができました。
書籍や日記、アザリアの友からの手紙…
何度見ても直筆のものは感動です。

嘉内が賢治・緑石・健吉からの手紙を貼り付けて
亡くなるまで枕元において大切にしていた緑色のスクラップブックや
大正10年7月18日の「宮澤賢治 面会来」と書いて斜線を引いた日記のページ。
いくらでも賢治の直筆や一級資料をご覧になっている牛崎さんが
感激されているご様子に、こちらもまた感動。
他のみなさんとも資料を眺めながらああだこうだと楽しい談義。
濃密で素晴らしい時間を共有させていただくことができました。

そしてとうとう帰る時間。
懸念されたとおり昼すぎもまだ中央線が動いておらず
東京方面組は向山さん手配の高速バスにてお帰りになり、
名古屋方面の私と浜垣ご夫妻は、向山さんに塩尻まで送って頂くことに。
それだけでもありがたいのに
なんと塩尻に着いてもまだ中央線が止まったままということで、
そのまま木曽福島まで行ってくださることに。(こんな奇特な人はいない!)

そこからはようやく電車が動き出し、
無事その日のうちに家に帰ることができました。

アザリア記念会の皆様、
各地より集ってくださった皆様、
今回もたいへんお世話になりました。
ありがとうございました。

 うさぎやさん、日本一美味しいお饅頭をありがとう!
 さぶちゃんいつもいろいろありがとう!みかちゃん会えなくて残念!
 また遊びに行きますね~。

 ※ソプラノ歌手・土井尻明子さんのHP→こちら
  (大船渡市で津波の被害を逃れたラベンダーで支援活動をされています)

明野子ども美術館の「賢治祭」とCD発売 [催し物]

毎年、花巻の「賢治祭」と同時に
山梨県北杜市の「明野子ども美術館」にて開催されている、“もうひとつの「賢治祭」”です。

今年は15周年ということで、
スペシャルプログラム!?

明野子ども美術館HP→こちら

9月21日(土) 夜5:00~7:00

第一部 へんり未来 賢治をうたう CD完成記念 5:00~5:30

第2部 5:30~ 賢治をしのんで、<賢治の手紙から> 保阪庸夫さん・三上満さん対談

     5:50~ 賢治を歌おう、踊ろう

     6:10~ 観客参加型野外劇  宮澤賢治作・『鹿踊りのはじまり』
            ステキな歌と生演奏にのせて
             歌   伊東あゆみさん へんり未来さん 
             音楽  足立理恵さん
 

     参加費 こども200円おとな300円(保険料・茶菓子代を含みます)
    
          ※防寒着・カップを持ってきてください  


     主催・お申し込み・会場 明野子ども美術館 TEL 0551-25-5340  
                            FAX 0551-25-5405
               ※留守のときはお名前と電話番号をお願いします。
                 おかけ直します。

     後援・アザリア記念会


そしてもうひとつお知らせ。
15周年記念として
CD『明野子ども美術館の賢治祭』が完成!

これまでこの明野子ども美術館の賢治祭にむけてつくられた曲の中から
宮澤賢治の詩に、へんり未来さんが作曲した8曲と
参加した子どもたちの詩にへんり未来さんが作曲したもの2曲、合計10曲をリリース。

「ゆれるひなげし」<ひのきとひなげし>から
「ひのきとひなげし」<ひのきとひなげし>から
「きらめきのゆきき」<十力の金剛石>から
「キックキックトントン」<雪渡り>から
「狼森のまんなかで」<狼森と笊森、盗森>から
「かしわばやしの夜」<かしわばやしの夜>から
「ぎゅっくぎゅっく」<畑のへり>から
ふくろうの夜」<かしわばやしの夜>から
「くるみの木」<かしわばやしの夜>から
「ほろびのほのお」<十力の金剛石>から

CD代金 2,000円 (そのうち15%は震災支援活動に使われます)  

お申し込み:明野子ども美術館 TEL0551ー25-5340
                     FAX0551-25-5405
※留守のときはお名前と電話番号をお願いします。
                  おかけ直します。

明野子ども美術館:代表 松崎春子
〒408-0205 山梨県北杜市明野町浅尾新田385


へんり未来さんは、その音楽性や姿勢が高く評価され
音楽家湯川れい子さんをはじめ、小林亜星さん、永六輔さん、小室等さんも絶賛!
活躍はテレビ新聞等でも幅広く紹介されています。

(※以上の情報は、アザリア記念会会報第11号に同封されていたチラシから転載しました)

そしてなんと、へんり未来さんは、
昨年の『花園農村の碑 碑前祭』で講演をしてくださった
岩手大学の佐藤竜一さんの古い友人であられるとか。

佐藤さんはツイッターで
「シンガーソングライター・へんり未来の命名はアメリカの作家、ヘンリーミラーから。ヘンリー・ミラーを愛読し影響を受けていたへんりはわざわざロサンゼルスの自宅にヘンリー・ミラーを訪ねている」
とつぶやかれていていました。

ここにもまた不思議なご縁が…
びつくり。

「花巻から韮崎へ~宮沢賢治から保阪嘉内へ~」宮澤賢治記念館副館長・牛崎敏哉さんの講演 [催し物]

保阪嘉内に関するイベントのお知らせです~♪

 第28回 国民文化祭・やまなし2013

 「武田の里」にらさきが生んだ二人の偉人

    小林一三・保阪嘉内の世界展

    列車を走らせた男の物語


【記念展示】 

  平成25年9月11日(日)~11月10日(日)  午前9時~午後5時 

  休刊日/月曜日(祝日の場合は翌日)

  韮崎市市民交流センター「ニコリ」 1階 韮崎市ふるさと偉人資料館


【記念講演】  
  
    平成25年9月15日(日)

    午後1時30分~3時30分(予定)

 ○ 花巻から韮崎へ  ~宮澤賢治から保阪嘉内へ~

    宮澤賢治記念館副館長 牛崎 敏哉 氏

 ○ 賢治と嘉内の歌曲を聴く

    ソプラノ歌手  土井尻 明子 氏



   全て終了後 「アザリア記念会」は東京エレクトロン韮崎文化ホールへ移動

   『花園農村の碑 碑前祭』を執り行ないます(午後4時半からの予定です)。




 てことは皆様、今年は10月ではなく9月15日に韮崎に来て下さいね~~~!!!


 ※韮崎市民交流センターの案内→「ニコリのブログ」さん

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(情報&画像提供:アザリア記念会)

寮美千子さん講演~東海高校サタデープログラム [催し物]

ブログの更新が随分ご無沙汰になってしまいました。
仕事が立て込んでいたり、そのなかで無理な長期旅行を計画したり
結局それをキャンセルして、より短い旅行に行ったり、お盆で帰省したり、体調崩したりで
じっくりパソコンの前に座ることができなかったのでした。

ようやく落ち着いてきたので、
書きたくても溜めてしまっていた記事をぼちぼち更新していこうと思います。


さて、もう2ヶ月前になってしまいましたが、
6月29日土曜日、名古屋市千種区にある東海高校に行ってきました。

生徒さん達が運営している公開講座「サタデープログラム(第23回)」に参加するためです。
作家の寮美千子さんが午後の部で講師をなさるということで、
これは行かねば、と出かけたのでした。

千種駅から歩いて高校に向かっていると、
学校近くで、前方になんだか見覚えのあるお二人の姿が…。
寮さんと松永さんが、古い建物をカメラに収めている様子。
ハヤ歩きで追いついて「寮さん!」と声をかけ、暫くぶりの再会。

お陰で、講師係の生徒さんに案内されるお二人にくっついて
迷うことなく会場の教室にたどり着くことができました。

寮さんとは何度かお会いしていますが
実は奈良少年刑務所の授業のお話を聴くのは初めてでした。

奈良に住むことになった寮さんが、
「奈良少年刑務所」を最初に訪問したきっかけはその貴重な美しい建物。
明治に建てられた5つあった刑務所のうち
全容が残っているのはこの奈良少年刑務所だけだとのこと。
その建物を見学に行った時、
受刑者の少年達の絵や詩が貼ってあった、
その繊細さに驚いたとのこと。

その一年後、
更正教育である「社会性涵養プログラム」の講師の依頼が来たそうです。
法律が変わり刑務所での更正教育ができるようになったということ。
(それまで行われていなかったことのほうが驚きです)

奈良少年刑務所は、少年院とは違い
殺人やレイプなど重い罪を犯した17~26歳の単独犯が入るところ。
授業を受けるのは現在640名いる受刑者の中でも
選りすぐりの(!)ワル10名。
こんな人達を前に教えるなんて、普通はできませんよね~。
寮さんも最初はとても恐かったと。
ところが蓋をあけてみると
その彼等はとてもシャイで人とのコミュニケーションがうまくとれない。
発達障害を抱える人、チック症の人…。
そのような人はじつは皆、ネグレクト・虐待・貧困・いじめなどのなかで、
まともな愛情を受けずに育った子ばかり。

自分を守るために苦痛の感覚を殺し、同時に幸せや喜びを感じる感覚もなくしてしまう。
傷つかないように心を堅く堅く閉ざしてしまったその先に
何かのきっかけで人を傷つけてしまった人達。

決して粗暴なのではなく
誰かが救いの手を差し伸べていれば救われた魂。

問題は、彼等を掬い上げケアすることができない社会の側にあるのだと、寮さん。
最近も凶悪な若者の犯罪をニュースで見聞きしますが
よくよく実情を見てみると、罪を犯した若者も実は被害者ではないかと思えることも多々あります。
犯罪を犯すような人は特別な人で、自分には関係のない人達だという意識が
多くの人にあるように思いますが
私も寮さんの詩集『空があおいから白をえらんだのです』を読み
お話を聞くまではそう思っていた一人でした。

寮さんが素晴らしいのは
生徒の話を“聞く”ということ。
シャイで口べたで、コミュニケーションを最も苦手としてきた彼等は
例えば読んだ作品の感想を言うだけでももの凄く苦労する。
一言発するまでに何分も何十分もかかってしまうこともある。
それでも根気よく、黙って待ってあげる、そうしてやっと発した一言を温かく受け入れる。

一般の子育てでも、これはなかなかできることではないのです。
子供の力を引き出すよりも、親が先回りしてしまい、芽を摘み心をくじいてしまいがちだと感じます。

彼等は他人に受け入れられた経験が実に乏しい。
心の安定が得られず、自尊心の欠片も持つことができないできた、
人には、安心できる場があり人が必要不可欠で
安心できて初めて心を開くことができる、という寮さんの言葉はその通りだと思います。

集団行動ができなかった若者達が
授業を重ねるうちにできるようになる。
他人を思いやり、受け入れることができ、
人としての心を取り戻す、或いは初めて得ることができる・・・

絵本の朗読劇や詩の創作の授業を通して
寮さんが行っているのは、心の、というより「魂」の救済に違いないのです。


彼等の創った詩は、真っ直ぐで、人の心を打つ。
「詩」は魂の奥が見える言葉だ、と寮さんが仰ったのですが
その力を引き出すことは、例えば作家だから、詩人だから、
あるいは教師だからといってできるものではないと思います。
お話を伺うたびに思うのは、寮さんだからこそできることだということ。

寮さんは、これまでに一期(半年)10名を12期、つまり120名の若者をみてきたそうですが
120人もの子供達の、とっても難しいケアをなさって来て
そしてこれからもそれは続けられるからもっともっと増えていくはずで、
普通の母親にはできないことをなさっている、
たくさんの子供のいる偉大な母ではないかといつも感じます。

とにかく私の下手な記事より
寮さんが全国各地で続けられている奈良少年刑務所に関する講演を
機会があればぜひ聴いていただけたらな、と思います。

寮美千子さんのホームページ→こちら



空が青いから白をえらんだのです ―奈良少年刑務所詩集― (新潮文庫)



寮さんが授業に関わるきっかけとなった奈良少年刑務所の建物は
詩集に載っている写真だけでも、その素晴らしさは伝わって来ます。
壁のレンガは全てひとつひとつ受刑者が焼いた手作りのもの、
その風合いは機械で焼いたものとは全く違う美しさだそうです。
ぜひ、一度この目で見てみたいと思いました。
今年の一般公開は9月7日(土)、8日(日)だそうです。


奈良少年刑務所「奈良矯正展」

【日時】9月7日(土)10:00~16:00 / 9月8日(日)10:00~15:30まで
【場所】奈良少年刑務所 構内

【内容】施設見学/刑務所作業製品の展示即売/教育内容・職業訓練等の紹介パネル
    受刑者の書・絵画等の文芸作品の展示/専門職員による性格検査も体験実施等


ちなみに今回の東海高校の生徒さんたちが
寮さんを講師に招いたきっかけは
彼等が文化祭に「空が青いから白をえらんだのです」をテーマにした映画制作を企画したことだそうです。
講演後の質疑応答でも生徒さんからの真剣な質問や感想がありましたが
どんな映画が出来上がるのか楽しみですね。

「第5回イーハトーブ・プロジェクトin京都」のお知らせ [催し物]

『宮澤賢治の詩の世界』の浜垣誠司さんが一昨年から続けられている
宮澤賢治をテーマとした震災復興支援チャリティ企画
「イーハトーブ・プロジェクトin京都」の第5回が、
7月28日(日)に、京都府庁旧本館正庁にて開催されます。

早いものでもう5回目なんですね。
(毎回、素晴らしい企画と尽力に頭が下がります)

今回はなんと!
林洋子さんと梅津三知代さんのアイリッシュ・ハープの共演による
「やまなし」、「よだかの星」、そして最後に「雨ニモマケズ」!
だそうです!

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  今回のチラシも素晴らしい!絵は埼玉県在住の画家・鈴木広美さんの木版画「とり」です。
  (画像を浜垣さんのサイトから拝借しました)
  

林洋子さんといえば昨秋、(幸運にも)とある席でご一緒させて頂いたのですが
原発問題に関して熱く語っておられたのを懐かしく思い出されます。
それもそのはず、
浜垣さんの記事によると
林洋子さんは、高木仁三郎さんが市民科学者育成のために創設した「高木学校」の
サポーターの会の「キャプテン」を務めてみえるのですね、
少しも知らずにいました、不勉強を恥ずかしく思います。

実はワタシ、林洋子さんの公演をまだ拝見したことがないのです。
公演終了後には、浜垣さんとの対談も予定されているようですので
とっても楽しみです。


第5回イーハトーブ・プロジェクトin京都 ~ 林洋子ひとり語り ~

【演目】
  一、 やまなし
  二、 よだかの星
  三、 雨ニモマケズ
            作: 宮沢賢治
            語り・演出: 林 洋子
            アイリッシュ・ハープ: 梅津 三知代
【日時】
  2013年7月28日(日) 午後3時開演
(午後2時半開場)
【場所】
  京都府庁旧本館正庁 (京都市上京区)
【参加費】
  2000円 (必要経費以外は義援金とします)

詳細&申し込みは浜垣さんのサイトからお願いします
『第5回イーハトーブ・プロジェクトin京都・案内』

佐藤竜一さんの講演~『花園農村の碑 碑前祭』 [催し物]

10月13日(土)、14日(日)と
『花園農村の碑 碑前祭』に参加するため韮崎市へ行ってきました。

ギンドロが昨年よりさらに大きくなっていてびっくり。
ぎんどろ.JPG

向山事務局長は帽子とマント姿にトランクをさげ
賢治さんになって登場。

来賓の挨拶と紹介、碑文の朗読に続いて
市民合唱団による『アザリア』と『勿忘草』の歌。
今年は加えて被災地への思いを込めた2曲も歌われました。

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佐藤竜一さんの講演は
『宮沢賢治と保阪嘉内ー二人の交流をめぐって』

賢治の祖先は南部藩の神社仏閣を設計建築しており
その南部藩のルーツは山梨であるので、
ふたりには初めから親近感があったのでは、というお話から入って
賢治が保阪嘉内から受けた影響について
1.文学上の影響
2.ベジタリアン宣言
3.国柱会をめぐって
4.農民願望
と大きく4つのテーマに分けて話されました。
ベジタリアンのところでは、トルストイがベジタリアンだったことや
エスペラントの熱心な支援者だったとなども。
嘉内は盛岡高等農林に入学時、すでにトルストイに傾倒しており
賢治に「トルストイに打ち込んで進学したのは珍しい」と言われたとされており
賢治のトルストイへの関心も嘉内からの影響が大きいと言えます。

「賢治の生涯を語ろうとすると必然として
嘉内への手紙が引用されることになる」
「嘉内への73通の手紙が残っていたからこそ
いま私達が賢治の内面の軌跡を知ることができる」
と言われたのが印象的でした。

賢治がこれほど赤裸々に心の裡を吐露しているのは
嘉内をおいて他にはいないですものね。
青春の一時期に留まらず
生涯を通して影響しあったふたりだと私も思っています。

それから、賢治が農学校を辞めて羅須地人協会を設立し独居生活に入ったのは
弟清六さんがちょうど大正15年3月31日で除隊となり
家に戻ったことが決断の背景にある、というお話はなるほどと思いました。

賢治と嘉内は大正10年7月18日に東京で再会し
(信仰をめぐって)激しく口論したと推測されていますが、
佐藤さんは「以後、ふたりは疎遠?になる。」とレジュメに
クエスチョンマークを記されています。

佐藤さんも言われたように
賢治の4年間の教師時代には、嘉内にかぎらず手紙がほとんど残っていません。
この時期の賢治は忙しく、また充実もしており
誰に対してもほとんど手紙を書かなかったようです。

それに、大正10年以降も
賢治からは詩集『春と修羅』や『注文の多い料理店』、写真などが送られており
ふたりの交流の足跡はしっかり残っているのですから。
「疎遠」とは言い難いと私も思っています。

今回の講演で、
賢治が嘉内から受けた多大な影響について
あらためて認識できましたし、
またふたりの関係を深く知らない人にとっても
分かりやすく且つ深い講演内容だったのではと感じました。

私自身はまた、佐藤さんがこれまでに書かれた本に
興味を覚えました。

ますは黄瀛(こうえい)についての本で、
病床にあった賢治をはるばる訪ねてきた同人仲間ということは知っていたものの
今までその人となりを知る機会がありませんでした。
その晩さっそくホテルでiphoneから検索し注文。
いま読んでいるところです。
『黄瀛(こうえい)―その詩と数奇な生涯 』

他にも次の2冊を読みたくて注文。
数日中には届くはず。
『灼熱の迷宮から。―ミンドロ島から奇跡の生還、元日本兵が語る平和への夢』
『宮沢賢治の東京―東北から何を見たか 』


こちらはTV番組にもなり、話題にもなった本です。
賢治をあまり知らない人にも読んでもらいたい一冊。
『宮澤賢治あるサラリーマンの生と死』
今まで、あまり取り上げられなかった東北砕石工場時代の賢治。
それはきっとこの仕事が直接死に結びついてしまったものだったからだと思いますが
私自身もこの時代の賢治を直視することを無意識にも避けていたと思います。

しかし、この時期の賢治の光と影を見つめることで
鈴木東蔵という人への見方も180度変わったし
何より賢治の思いへの理解を深めることができた気がします。

佐藤竜一さんは編集者、ライターを経て、現在は岩手大学の講師をされていますが
私にとっても素晴らしいイーハトーブ大学の先生の一人であります。


※なお、この『花園農村の碑 碑前祭』については
賢治の事務所・加倉井さんのサイト→『緑いろの通信』10月13日(土)の記事にも詳しく紹介されています。
(やっぱり私と違って写真が素晴らしい)

『花園農村の碑 碑前祭』のお知らせ [催し物]

毎年この時期に行われている
碑前祭のお知らせです。

ほんとうの幸せをもとめて 保阪嘉内・宮澤賢治
花園農村の碑 碑前祭

2012年10月13日(土)

◆碑前祭
  
   時間:午後1時30分~

   場所:東京エレクトロン韮崎文化ホール前庭『花園農村の碑』前
      
        碑文朗読 ゆかりの方からのあいさつ
        保阪嘉内の歌曲「藤井青年団歌」「勿忘草の歌」他(韮崎市民合唱団)

◆記念講演

  時間:午後2時10分~

  場所:東京エレクトロン韮崎文化ホール会議室

  講師佐藤竜一氏
      (岩手大学特別講師・岩手大学宮沢賢治センター事務局長)

  演題:宮澤賢治と保阪嘉内ー二人の交流をめぐって
      (賢治と嘉内との出会いから始まり、賢治から嘉内にあてた三通の
       手紙を通して二人の交流を紹介します)

※小惑星「保阪嘉内」についての映像紹介もあります!

いずれも参加無料です。

主催 保阪嘉内・宮澤賢治 アザリア記念会
お問い合わせ アザリア記念会事務局 向山三樹さんまで 0551-23-0391

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『第3回イーハトーブ・プロジェクトin京都』に行ってきた! [催し物]

賢治は美声の持ち主だった、と何かで読んだことがあります。

「これはまさに賢治の声ではないか…」
朗々と会場に響き渡る竹崎利信さんの声に
幾度となくそう思ってしまいました。

プログラム最初の『私家版宮澤賢治幻想旅行記・抄』は
客席の後から竹崎さんが現れて始まりました。

遺書や『注文の多い料理店・序』、『春と修羅・序』、
バルコクバララゲ♪の応援歌、
なぜか涙が自然に流れてくるのをとめられません。

詩『丁丁丁丁丁』『眼にて云ふ』『そしてわたくしはまもなく死ぬのであろうか』

そうして呻くように「ナリタイ…ナリタイ…ナリタイ…」と。
これまでいろんな方の『雨ニモマケズ』の朗読を聴きましたが、
これほど賢治の魂と重なったものはありませんでした。
そうだ、賢治はこんな気持ちで小さな手帳に書いたに違いない…と。

 「ナァーンモデギナガッタ、ダーレモタスケラレナガッタ。
 ソウイウモノニワタシハナリテェ?
 インヤ、オレハマサニ、バカノメチャクチャノデキソコネー
 ・・・オレハタダノ、デクノボーダ。」

そうだ。
賢治はデクノボーだ。

 「賢治が遠くへ行った?
 いや、あの人から遠ざかっていたのは自分のほうではなかったのか。」

竹崎さんの賢治への旅が
私自身の旅と重なります。

賢治から来るはずのない手紙が来て。
ジョバンニの手の中の切符。

 「たとえ生まれ変わり、死にかわっても―」
賢治が残してくれた切符に書かれていた言葉は
 「ここより始まる」

私は震えるほど感動しました。
ああ、いつだって、どこだってそうだ。
「ここより始まる」!

私は私の切符をちゃんと握っているのだ。



『なめとこ山の熊』は竹崎さんの語りと友枝良平さんの揚琴。
お二人の息のあった舞台。
揚琴というのはこんな楽器→☆
竹崎さんが“天上の音”と賞賛されるように
不思議な美しい音色がして
深い森の木々に風が渡ってゆく音や
母熊子熊に降り注ぐ月の光の粉が目の前に見えるようでした。
そして小十郎が死んだ後には、
雪のカーテンがやってくるのが見えた…ような気がしました。

山の上で環になって平伏した熊たちの真ん中に
半分座ったように置かれた小十郎の死骸。
ラストシーンの情景を揚琴の音色のなかで浮かべ
賢治の描いたものの深さを思いました。

「たとえ生まれ変わり、死にかわっても―」
という先の言葉がよみがえります。

ともに生きて、ともに死んでいくこと。
私達はひとりだけれど、ひとりじゃない。
小十郎は熊であり、熊はまた小十郎である。
そしてかれらはそのことを知ってる。
ともに生きともに死ぬ、そのことを知っている。

現代社会の不幸は
人間がそのことを忘れ
世界とともに生きることを忘れたからではないのかなぁ。
そんなこともぼんやり感じていました。

賢治が描きたかったものに
なんとなくまた一歩近づけたような気がします。

あの会場に広がっていたのは
なめとこ山の景色。
そこにいたのは小十郎や熊の魂。
賢治はやっぱり、ちゃんと会場のどこかにいて見守っていた、
そんな気がしてなりません。


二つのプログラムの間にあった主催者・浜垣誠司さんのミニ講演は
それらにつながる内容でした。
賢治の感性や
「私」や「世界」というものを賢治がどう感じていたか、を
図解してわかりやすく話してくださいました。


ちょうど今読んでいる本には
賢治の世界のとらえ方や、
賢治は何をもとめて旅していたかを探るテーマで連載されていて
『私家版宮澤賢治幻想旅行記・抄』や浜垣さんのお話にも通じていて
不思議な符合を感じています。

第2回『能楽らいぶ 光の素足』もそうでしたが
今回も、心、というよりはしっかりと“魂”に刻まれたと感じます。


関係者のみなさま、お疲れ様でした。
そして素晴らしいものを有り難うございました。

またぜひ伺います。

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