So-net無料ブログ作成

「戦争の親玉」 [音楽]

ボブ・ディランに「戦争の親玉」という曲がある。
彼は21歳でこの曲を書いた。
デビュー2作目のアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』に収録。
1963年5月27日米国発売。

私がこの曲を初めて聴いたのは20歳頃。
そのときは正直意味がよくわからなかった。

1992年に開催されたボブの30周年を祝うコンサートで
スティービー・ワンダーが「風に吹かれて」を歌う前に
その曲がまだ歌い継がれていることへの悲しみを話していた。
そしてバールジャムのエディ・ヴェダーとマイク・マクレディがこの「戦争の親玉」を歌った。
若い彼等がこの曲を選んだことに深い意義を感じる。
それからまた20年。

世界は好転どころか、
この曲の重みが増していることに驚きと深い悲しみを覚える。



「戦争の親玉」

戦争の親玉さんよ
あらゆる銃をつくるあんたがた
死の飛行機をつくるあんたがた
強力な爆弾をつくるあんたがた
壁のうしろに隠れるあんたがた
デスクの下に隠れるあんたがた
ひとつ言っておくが
あんたがたの正体はまる見えだよ

破壊の道具を造ること以外は
何もしたことがないあんた
あんたは おもちゃのように
俺の世界をもてあそぶ
俺の手に鉄砲をもたせ
俺の目の届かない所にいて
いざ弾丸が発射されると
回れ右して真っ先に逃げ出す

昔のユダのように
あんたは嘘をつき欺く
世界大戦は勝つと
俺に信じこませようとする
ところが 俺はあんたの目は読めるし
あんたの脳味噌も
配水管の水のように透けて見えるぜ

あんたは他人に銃を持たせ
引き金を引かせようとする
あんたは後に控えて見物
死者の数はうなぎのぼり
あんたが豪邸に隠れている間にも
若者の身体から血は流れ
泥の中に埋められる

あんたは最悪の恐怖をふりまいた
安心してこの世で子供を産めない恐怖
まだ産まれず まだ名もない
俺の赤ん坊をおびやかしている
あんたの血管の中にも
ほんとうに血が流れているのかい

なにもわからないのに
いい加減なことをいうなと?
あんたはいうだろう お前は若い
あんたはいうだろう お前には学がないと
俺はあんたより若いけど
これだけは言える
神でさえあんたのやることを絶対に許しはしない

ひとつききたいことがある
あんたのお金はそんなにいいものか?
それで赦しが買えるのか?
そんなことができると思っているのか?
死神が来たときに
あんたにはわかるだろうよ
あんたの儲けた金ぜんぶ積んでも
魂を買い戻すことはできないと

あんたたちは死ねばいい
きっともうすぐだろう
そうしたらあんたの棺桶について行き
薄暗い昼下がりに
あんたが墓穴におろされ
死の床につくのを見とどけてやろう
あんたがほんとうに死んだと確かめられるまで
あんたの墓の上に立ってやる



"Masters Of War"

Come you masters of war
You that build all the guns
You that build the death planes
You that build all the bombs
You that hide behind walls
You that hide behind desks
I just want you to know
I can see through your masks.

You that never done nothin'
But build to destroy
You play with my world
Like it's your little toy
You put a gun in my hand
And you hide from my eyes
And you turn and run farther
When the fast bullets fly.

Like Judas of old
You lie and deceive
A world war can be won
You want me to believe
But I see through your eyes
And I see through your brain
Like I see through the water
That runs down my drain.

You fasten all the triggers
For the others to fire
Then you set back and watch
When the death count gets higher
You hide in your mansion'
As young people's blood
Flows out of their bodies
And is buried in the mud.

You've thrown the worst fear
That can ever be hurled
Fear to bring children
Into the world
For threatening my baby
Unborn and unnamed
You ain't worth the blood
That runs in your veins.

How much do I know
To talk out of turn
You might say that I'm young
You might say I'm unlearned
But there's one thing I know
Though I'm younger than you
That even Jesus would never
Forgive what you do.

Let me ask you one question
Is your money that good
Will it buy you forgiveness
Do you think that it could
I think you will find
When your death takes its toll
All the money you made
Will never buy back your soul.

And I hope that you die
And your death'll come soon
I will follow your casket
In the pale afternoon
And I'll watch while you're lowered
Down to your deathbed
And I'll stand over your grave
'Til I'm sure that you're dead.


Youtube映像
Masters of War - Bob Dylan

Masters Of War, live 1963

Eddie Vedder and Mike McCready 10/16/1992
エディの視線に注目。
彼がカンニングモニターを使用せず、歌いきっているということです。

nice!(2)  コメント(2) 

「野蛮からぬけない世界」と徴兵制 [思うこと]

「さて現今世界 の大勢を見るに実にどうもこんらんして居る。ひとのものを横合か らとる様なことが多い。実にふんがいにたへない。まだ世界は野蛮 からぬけない。けしからん。くそっ。ちょっ。」
『紫紺染について』の紫紺染研究会会長の言葉。

「(ああ、マヂエル様さま、どうか憎にくむことのできない敵てきを殺ころさないでいゝやうに早はやくこの世界せかいがなりますやうに、そのためならば、わたくしのからだなどは、何なんべん引ひき裂さかれてもかまひません。)」
『烏の北斗七星』の烏の新しい少佐の言葉。

みんなのほんとうの幸いを願うとすれば
世界がどういう方向に進んで行くべきかは明確である。


これまで戦地で活動している自衛隊が攻撃を受けなかったのは
日本に平和憲法があるからだということを
知らないのか忘れているのか。

このまま「集団的自衛権」なる名のつく「他衛的参戦権」が容認されてしまえば
日本は確実に戦争に巻き込まれ(あるいは巻き起こす)ことになるのは目に見えている。
そうなれば自衛隊員は激減するに決まっていて
徴兵制が導入されるのは必然となってくる。

先の第2次世界大戦だけでも
たった4年の間に戦争の犠牲になり命を落とした人は250万人とも300万人とも言われている。

今、戦争への道を推進している人たちは
戦地なんかには絶対に行かない人であり
戦争が起こっても最後まで自身や家族の安全が保証されている人ばかりだ。

甘いおとぎばなし、かっこよく描かれた英雄伝にそそのかされて
日本を侵略してくる憎い敵に勝つためには
軍事力を強化するしかない、と思いこまされている若者。

子供や孫が可愛いはずのいい歳をしたおじさんおばさん。
この記事をかいている今もTVの中でとてもお上品なおばさまが
「世界情勢が変わってきているのに、いつまでもこのままではいけませんでしょ」
と言い放っている。

若者よりもこういう人により大きな絶望を感じる。
あなたの重ねてきた月日は、いったいなんのためにあったのですか。
あなたはその目でその耳でなにを見何を聴き、その頭で何を考えてきたのですか?
何十年も?

考えてみればいい歳の人達も、戦争があったのは幼い頃なので
よく覚えていない人が多いのだろう。
戦地に行ったお父さんお兄さんは、傷が深くてほとんど何も語ってくれなかったのだろう。
それにしても、だ。

先日、若い人だけでなくいいお歳の方にも
「志願兵」に対する認識が間違っている人がいて驚いた。
つまり自ら志願して兵士になった軍人だというのである。

「集団的自衛権」もそうだが、言葉というのはやっかいだな。
詐欺師はそこをうまくついてくるのである。
エコという言葉に乗せられるのも同じだが
先日のアベさんの会見、可愛い妻と子のイラストのボードとソフトで流ちょうな口調に洗脳された人は
どれくらいいたのだろう。

 あのボードに描かれた事例は、「集団的自衛権」の説明にもなっておらず
 現行の憲法で可能であるという指摘もある。
 思うに、満州でも沖縄でも国民は日本軍に見捨てられ殺された。
 いざとなったら、現実には誰も護ってはくれないのである。
 「国民の命と財産を護るため」だって?
 寝言は言わないでほしい。
 現在のフクシマを見よ。 

話がそれた、
「志願兵」というのは、一家の大事な長男に、兵役を少しでも短く負担を軽くさせようという親心と
国の財政負担を軽減するといいう目的が重なっているもので
経費は自分持ちの代わりに兵役期間を短くするための制度であって
裕福な家の子息にしかできないものだった。

盛岡高等農林で学べるような子らはみなそれなりに裕福な家庭の子であって
保阪嘉内も河本緑石も、この志願兵で入隊している。
賢治はといえば、健康上の理由で兵役を逃れたということであり
もし健康と判断されれば、きっとこの制度を利用したに違いない。
だれも決して喜んで国を護るぞと「志願」して兵隊になったわけではない。
徴兵制度というものは「血税」であって、原則的に
私は行きたくないからと言って回避できるものではないのである。

「集団的自衛権」に賛成の人は
自分が、夫や息子、孫が、徴兵されて、現実に戦地に行くことになるのを
どう思っているのだろうか。
まさか「それは自衛隊の人達が行ってくれるよ」などと思っているわけではあるまい。まさか。

日本が参戦できる国に成りはててしまえば
いつなんどき、9.11のようなことが日本にも起こるかもわからないのだが
隣国が責めてくるという想像はできても
そういう想像はできないのか。

国際情勢が危うくなり
たとえば隣国からなんらかのモーションをかけられたとしても
それを解決するのが外交であり対話交渉であって
これまでもずっとそうやってきたはずだ。

それがたった一つの地球という船に乗るもの同士、
平和に共存するための手段であって
だいたいが国家国境などという集団的妄想から抜け出すのが最終的なはずだが
その道のりはあまりに遠い。
まぁそれが実現するかどうかはともかく
野蛮からは一刻も早く、抜け出すべきである。



nice!(1)  コメント(4) 

「父子旅行」の意味と「問題の内面化」 [思うこと]

昨日、京都セミナー『修羅の誕生』について書きましたが
あろうことか、一番書きたかったことを書き忘れ。
(美味しいワインを頂いていたのでつい飲み過ぎたせいだけど!)

浜垣誠司さんのテーマ「宮沢賢治、京都に来る」は
大正5年の修学旅行と、
大正10年の父子旅行の京都の足跡を詳しく追ったものでしたが
講演の最後に仰ったことが非常に心に残ったのでした。
それは賢治にとっての父子旅行の意味についてであり、

それまでは賢治が「皆が法華経に帰依さえすればすべての問題は解決する」と思っていた、
つまりは本来自己内部の問題まで「外在化」されていた。
しかし、この旅行によって親子の信頼を回復し
自己の問題を「内面化」したところであり
自己の内なる矛盾を直視することになり、それが「修羅の誕生」になったのではないか。

…というようなことでした。

まさにそのとおりだと思いますし、
この時を堺に、賢治は大きく変化します。
私はそれには、嘉内との衝突も大きくかかわっていると思いますが、
つまり賢治を変えたのは、父と嘉内という、賢治にとって最も大きなふたりの存在だったのではないでしょうか。


さて、実は、この日このセミナーに参加するにあたって
私自身もある悩みを抱えており、
参加をとりやめようかどうしようかと直前まで考えていたのでした。

でもやっぱり後悔はしたくなかったので
思い切って京都行きの新幹線に乗ったのですが
そこでこの浜垣さんの
「本来は自己内部の問題まで外在化」していたという言葉を聞いて、それが心の底に深く響いており
セミナーが終わってからもいろいろと考え、
私自身の問題も、じつは自己の内部にあるのだということに気づかされたのでした。
思うようにいかないことを他人のせいにしていたのは、自分自身だと。

ほんとうの敵は自分の中にいる、とはよくいいますが
まさにすべての問題はそこに行きつくのではないか、という気がしています。


一〇五四
 〔何と云はれても〕

                      五、三、

   何と云はれても

   わたくしはひかる水玉

   つめたい雫

   すきとほった雨つぶを

   枝いっぱいにみてた

   若い山ぐみの木なのである



nice!(1)  コメント(0) 

『修羅の誕生』宮沢賢治学会京都セミナー [催し物]

早いものでもう2週間も前になってしまいました。

4月20日(日)、京都造形芸術大学にて開催された賢治学会の京都セミナーに行ってきました。
プログラムは以下のとおり

①講演「宮沢賢治、京都に来る」浜垣誠司さん
②朗読と解説「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」牛崎敏哉さん
昼食休憩
③講演「宮沢賢治とジャータカ」君野隆久さん
④講演「宮沢賢治と修羅」中路正恒さん

講師の方々それぞれの視点、アプローチから賢治の「修羅」の誕生に迫る、
たいへん聞き応えのある講演でした。
浜垣さんは修学旅行と父子旅行の行程を詳しく解説。
牛崎さんは、素晴らしい花巻弁で詩を読んでくださり
そのBGMには「姫神」さんの音楽が。
私は、まだ「姫神せんせいしょん」というユニットだった頃から聴いていて大好きだったのです。
牛崎さんのパフォーマンスだけでも感動なのに、さらにさらに感激!
君野さんは、賢治が好きだった「ジャータカ物語」、中でも「ベッサンダラ王」の話について
賢治の深層心理に迫っていてとても興味深く参考になりました。
中路さんは詩「春と修羅」や「無声慟哭」などから、賢治と修羅、
そしてそこからあぶり出される父との関係を読み解いてくれました。

さらには、栗原敦さん、杉浦静さんからの質問・補足を通しての総括によって
今回のセミナーがぐっと引き締まったように感じました。



大正10年というのは、賢治にとって深い深い意味をもつ年。
その年4月、家出して上京中だった賢治を関西の旅に誘ったのは父・政次郎でした。
春の暴風雨の中、伊勢参りを経て京都へ。
二人で比叡山に登ります。
賢治が詠んだ

われもまた大講堂に鐘つくなりその像法の日は去りしぞと。

に象徴されるように、賢治にとって絢爛豪華な比叡山に対する印象はよくなかったようです。

賢治は、「ベッサンダラ王」に代表されるジャータカ、つまり捨て身の献身を望み、
それが正しい道だとしながら、
「アラムハラドの見た着物」のアラムハラドが思わず眼をこすってしまう
さっきまっで真っ青で光っていた空がねずみ色に変わり暗くなってしまったり、
「銀河鉄道の夜」で、しっかりやろう、僕たちどこまでも一緒に行こう、と誓った直後に
まっくらな孔があいているのを見てしまうことについて、
君野さんは
「自己犠牲は賢治の願望だったのではないか、捨て身=死の本能にちかいものをうすうす感じとっていたので最終的に疑問を持っていたのではないか。そこからどこへ進もうとしていたのか」
と仰り、
栗原さんが
「他を律する為に自分を捧げるということは一見正しいようだが実は押しつけではないか。賢治は尊い願いを持ってはいた。決して虚無には陥らなかったが、深い絶望を見ていたのではないか」
というようなことを仰っていました。

それまで信じ切っていたことが揺らぎ覆される。
何がほんとうに正しいことなのか。
迷いが、深い暗黒となって立ちふさいでいた。
賢治の修羅とは、そういうことなのかも知れない。

迫れば迫るほど、分かれば分かるほどまた新たな疑問がわき起こる、
それが賢治の「修羅」。

賢治が父と対立していたのは
決して法華経の日蓮宗対真言宗といいう構図ではなく
(だって同じ釈尊の教えなのだ!)
貧しい人も地位のない人も等しく救われるべき仏教であるはずが
裕福層を相手にした宗派・仏教会や
当時の比叡山に象徴されるらびやかな権威主義に対する反発・否定だったのではないかというのが
今の私の思い。

深い迷いの跡が作品であり
最期に父にそう語った言葉はほんとうだと思うし
また、これらはお釈迦様の尊い教えだ、と弟には語った、これもほんとうのことだろう。
迷って迷って迷って、それでも索続ける姿がほんとうは一番尊いのだと
賢治は最期に言いたかったのかもしれない。

「みんなのほんとうの幸い」を探して
僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない、と。






nice!(1)  コメント(0) 

『超個人的解釈絵本 銀河鉄道の夜』 [本]

保阪嘉内のことを熱心に研究されて
韮崎の「アザリア記念会」を訪ねてくださっている方がいるという話を以前から聞いていました。
大変うれしく思っていたところ、
その方は梅花女子大学大学院のFさんという方で、
このたび彼女の後輩である萩原結海さんが
賢治と嘉内をテーマに『銀河鉄道の夜』の絵本を制作されたとの知らせをもらったのは2月。

さっそく読ませてもらいましたが、とっても素敵な作品でした。
左右対称に同時進行で物語が進んでいくのがいい!
ぜひ多くの方にも読んでもらいたいと連絡をとったところ
「アザリアを知ってほしいというつもりで作ったので、拡散していただけるのでしたらどうぞお願いします。」とのお返事をいただきました。

保阪嘉内のことに興味を持ってくれるひと(しかも若い!)が
こうやっていてくれることはとても嬉しく心強いことです。

萩原結海さんは梅花女子大学 文化表現学部 日本文化創造学科4年。
(四月になってしまったので卒業、あるいは進学されたかもしれません)
これからの活躍が楽しみです。

作品はこちらからご覧いただけます→『超個人的解釈絵本 銀河鉄道の夜』

作品は梅花女子大学の「梅花Web出版」のサイトに掲載されています。

最後にF様、萩原様にお詫びです。
このところ余裕がなくブログの更新が滞っていて
折角快諾していただいていたのにアップがとても遅くなってしまい申し訳ありません。

第6回イーハトーブ・プロジェクトin京都『中所宜夫「中尊」(能楽らいぶ)』 [催し物]

待ってました、今回も素晴らしい企画です。
「宮澤賢治の詩の世界」の浜垣誠司さんによる「イーハトーブ・プロジェクトin京都」、
もう6回目になるのですね、
継続は力なり、毎回の御尽力に頭が下がります。

さて、今回も第2回の『光の素足』と同じく
法然院にての中所宜夫さんによる能楽らいぶですが
ワキに安田登さんが加わって
さらにパワーアップ、どんならいぶになるかと想像しただけでドキドキワクワクです。

ちなみに今、安田登さんの『異界を旅する能』(ちくま文庫)を読んでいるところですが
これが分かり易くて面白い!
「能」の解説にとどまらず人生や魂について考えさせられながら読んでいます。
この本に関してはいずれ詳しくアップしようと思っています。

  第6回イーハトーブ・プロジェクトin京都
    中所宜夫「中尊」(能楽らいぶ)
      シテ: 中所宜夫
      ワキ: 安田登

  日時: 2014年3月2日(日)午後6時開演(午後5時半開場)
  場所: 法然院 本堂(京都市左京区鹿ヶ谷)
   参加費: 2000円(必要経費を除き被災地の活動に寄付します)


そして今回はもうひとつお楽しみ。
毎回チラシの絵を提供なさっているガハクこと鈴木広美さんの絵が展示されます。
やっぱり絵は実物を見るのが何倍もいいですよね、


詳細はこちらでどうぞ→「宮澤賢治の詩の世界」

生命の灯・・・『春と修羅』序 [思うこと]

友人の紹介で、有機土壌による家庭菜園と取り組んでいるHさんと知り合った。

既成概念を取り払い、
有機土壌・無農薬・減農薬で
小さなスペースでも有効に活用して誰でも簡単に野菜やハーブ、花を育てることができる。
たとえコンクリートの上でも。
屋上でも大丈夫、

15年以上前、自己流で庭で野菜を作っていた。
ハーブや薔薇もいっぱい育てた。
ところが下の子を身ごもり、つわりがひどくなって
夏には水やりどころではなかったため、全部がダメになってしまい
その後はすっかりやる気をなくしてしまっていた。
仕事が忙しくなったこともあるが・・・。

この機会にまた野菜作りを再開してみようと思う。
やっぱり、自分たちが食べるものは安心安全なものがいい。

そのHさんというのは、とても面白い方で、
もとはゼネコンの大会社にいて、海外で空港をつくったり
高速道路をつくったりしていた方。
今も大きな仕事も手がけるが、仕事の一環で培った環境整備のノウハウを活かして
小さなことにも取り組んでみえる。
話をいろいろ伺うと、こちらのほうはほとんどボランティアみたいなもののようだ。
基本は2メートル四方の菜園だが、これを作りっぱなしではなく
講習会やネットワーク作りのほうがどちらかといえば目的のような感じ。

紹介してくれた友人夫妻もユニークで素敵な方達だが
世の中にはじつに面白いひとがいるものなんだと、楽しくなる。
こんな方がいるのだから、人生すてたもんじゃないと思える。

さて、そのHさんが、命について語ってくれたこと。

地球誕生は60億年、生物誕生35億年前、植物誕生3億5千年前。
人類はたった数百万年前。
しかし、その「命」というのは生物が誕生してから脈々と受け継がれてきたものであり
今生きているものはすべて、みな、同い年。

最初に聴いたときには意味が良くわからなかったけれど、
オリンピックの聖火にたとえられたとき、すとんと腑に落ちた。

「灯」はトーチからトーチへ受け継がれていく。
命というのはその「灯」のようなもの。
一番最初に誕生した生物の灯。
それが次に次にと受け継がれて
数が増え、進化し枝分かれして現在に至る。
でもその灯は受け継がれてきたものであり、
つまりは全ての生き物の命は同級生である。
あなたの命も、私の命も、ほんとうは同じ命。

私の命は私だけのものではなく次へと受け継がれる炎。
私が死んでも私の命は受け継がれていく。
子孫を残すことだけが命のバトンではない。
私が生き物のからだを食べると私の命に変わる。
私が死んで土に還ると微生物や植物のからだに変わる。

私はこの宇宙とともに、生きている。

そうか!と納得できたとき
思い出したのが賢治の言葉だった。

  (すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
   みんなのおのおののなかのすべてですから)


つまり、詩集『春と修羅』の序の冒頭は
これとまったく同じ事を言っている、と。


  わたくしといふ現象は
  仮定された有機交流電燈の
   ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)
  風景やみんなといつしよに
  せはしくせはしく明滅しながら
  いかにもたしかにともりつづける
  因果交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (ひかりはたもち その電燈は失はれ)


トーチは失われてしまうが
その灯はたもちつづけられる。

「青森挽歌」にある

  みんなむかしからのきやうだいなのだから

という言葉も実感できる。

賢治は、長い長い時間をかけて脈々と受け継がれてきた命のことを記したのであり、
それらはつまりは一つに繋がっていることを感じていたのだ。
人も銀河も修羅も海胆も、おなじひとつの命である。



『春と修羅』



わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます



     大正十三年一月廿日
                              宮沢賢治

「大事なものは、たいてい面倒くさい」~年頭に思うこと [思うこと]

宮崎駿さんの口ぐせは「面倒くさい」らしい。

昨年の制作現場を追ったTV番組のなかでも
「面倒くさい」を連発していた。

一見ネガティブなこの言葉。
でも宮崎駿さんによると「大事なものは、たいてい面倒くさい」。

確かにそのとおりだ。

私のようなナマケモノは、
いくら「頑張ろう」とか「努力しよう」とか思っても
流されて、ずるずると時間を過ごし、
一年経ってみても結局何もしなかった…ということの繰り返し。

頑張るとか努力とかいっても漠然としていて
何をどうするのか、やっているのかやっていないのか
目に見えないものはわかりにくい。

しかし「面倒くさい」ことならなんとかなる。
散らかった机の上の物を片づけてみるとか
後回しにしたい食器洗いを今やるとか
早起きをするとか
奉仕的な仕事をもう一つ自分からやってみるとか
「面倒だな」「イヤだな」と思う、目の前のことをとにかく今やってみることなら、できる。

努力している人の成果というのは
結局はその積み重ねなんだろうと思う。
そんなことに、やっと今になって気づいた。

長年温めているだけで
時間がないとか環境がととのわないとか
他のせいにして結局表現することから逃げていたことも
エンジンをかけないのは自分のせい。

遅くはない。
やりましょう、今から。
「面倒くさい」こと。

新年おめでとうございます [思うこと]

昨年は拙いブログにおつきあい下さり、ありがとうございました。

今年はいろいろと頑張っていこうと思っています。
どうぞよろしくお願いします。

人々に力を 平和を我らに [思うこと]

33年前の今日を、私は生涯忘れない。

見せかけの民主主義とかりそめの平和を経て
今また日本に戦争の影が覆い被さっている。

ジョンが命を賭けて闘ったものと
我々が闘わずしてどうする、と思う12月9日の朝。

Power To The People 

Give Peace A Chance

Happy Xmas (War Is Over)